新羅花郎(ファラン)に若衆の原像をみる

今回は朝鮮は新羅の文学、郷歌(ひゃんが)とその中にある花郎(ファラン)の歌を取り上げてみます。 ただ、直接そこへ行く前に、すこし概略らしき話をまずはしてみましょう。それはやはり、東アジアの中の朝鮮、とくに新羅の文化・文学をどう捉えるか、です。   中国、朝鮮、越南等と比べた時の日本の文化的・文学的特色が際立っていることは何人も否定できないことです。しかし、その特色を本居宣長やその影…

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慌てず騒がず「五年分」(安吾)に賭ける-新年の挨拶にかえて

(茨城県、日立港よりの朝日) 新年、明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いします。 さて、2018年が明けました。今年はどんな一年になりますか。 あまり良い予測は出ていないみたいですね。 ただ、日本文学、特に古典研究の行く末はそんなに悪くはないですよ。色々と悲観する言説は出てますが、根拠のないものがけっこう多いですね。 このブログでも書いて来ました…

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米屋はどこへ行ったのか

(川瀬巴水『金郷村』昭和29年作、茨城キリスト教大学図書館蔵) 網野善彦氏と言えば、日本の中世史を中心に、様々な新しい史観・知見を世に提示した碩学です。私なども、大いに影響を受けましたし、また現在でも受け続けています。 特に、日本の陸地中心主義、百姓=農民、「米」中心主義を抜本的に批判し、海域・海洋、そして米以外の産物(とくに海産物)を俎上に挙げて、新しい日本の姿、日本史・アジア…

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