朝鮮通信使が見た日本の男色(男色講座3)
朝鮮通信使は、江戸時代に12回、日本を訪れています。
その9回目の享保4年(1719)は極めて重要な回です。理由は二つ。一つは雨森芳洲が通信使と同行したからです。芳洲は木下順庵門下で同門の新井白石と並び称せられた秀才です。対馬藩の藩儒として朝鮮との間で翻訳・論著・外交に活躍いたしました。
また彼は語学の天才で、当時としては珍しく…
若衆研究会の公式ブログです。ホームは、下のリンク集「若衆文化研究会ホーム」からお入りください。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | ||||
4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。