アースダイバーとしての川瀬巴水

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このブログを始めて良かったと思う点の一つに、写真に興味を持つようになったことが挙げられます。

ブログには、文章だけでなく写真も載せようと決めているのですが、そういう目で風景を見ると必ず何がしかの発見があるから面白いですね。

たとえば、上の写真は正月四日に神奈川県茅ケ崎海岸で撮った夕暮れの風景です。これは何気なく撮ったようにみえますが、そうではありません。海岸に打ち寄せる波にわざと夕日が映り込むようにして撮ったもので、このジャストタイミングが来るまで良い波を待ち、何度も撮り直したものなんです。

写真に撮る、という姿勢があるだけで、風景が変わる。これが絵や版画のスケッチだったら、もっとその姿勢は真剣になり、工夫に満ちたものになると思います。

川瀬巴水の風景画が美しいのは、そうした姿勢が常にあったからでしょう。

実は、巴水は版画のスケッチを大量に遺していますが、これが実に美しいのです。ひょっとすれば、版画や水彩画よりも美しいのではないかと思う時もあります。さらに言えば、版画や水彩画よりも芸術的価値は高いのではないかと思う時さえあるんです。興味のある方は、東京の大田区立郷土博物館が出している巴水の版画集に、そのスケッチが多く載っていますのでお薦めします。版画や水彩画と比べられるようになってますので、さらに面白く楽しめる逸品です。

さて、その巴水ですが、現在、東京立川の高島屋8階で展示会が行われています。昨日行ってきました。

その昨日は連休の中日ということなんでしょうか。比較的空いていてゆっくりと作品を鑑賞できました。一昨年前の日本橋高島屋の時には、とにかく人が多くて、作品よりも人の頭を見に行ったようなもので、辟易しましたが、今回は大変良かったです。

そして、鈴木昇さん(国際新版画協会長)の講演にゲストスピーカーとして登場して、二人でおっさん漫才をしてきました。

講演を聞きに来られた方は50名ぐらいでしたでしょうか。昨日の土曜は150人ぐらいいらしたということですから、これも割とゆったりとした講演会になったように思います。

巴水や新版画については鈴木さんが、あらあらご紹介されましたので、私の方からは、私がなぜ巴水教信者になったのか、その経緯などをお話ししながら、私の見る巴水の魅力などについて話をいたしました。

この正月、この講演のゲストにもなるということで、巴水について種々考えを廻らせました。

そこで思いましたのは、五十代の後半になって巴水に触れ、本当に良かったということです。
普通、何に興味を持つにしても五十代後半では遅すぎますよね。興味を持つのに年齢は関係ない、とは一般的言われますが、やはりどうせ知るならとことん知りたいと考えると、ちょっと遅かったかなと思います。

これから巴水の勉強を必死でするにしても、大した理解にはならないでしょうし、またお金もないですから、巴水の収集家にもなれません。せいぜい美術書を読み、カタログを開いたり、なけなしの金をはたいて買った版画を時折ながめたりする程度でしょう。しかし、私の場合はそれで十分なんです。

実は、二十代後半、茨城に大学教員として赴任して大変驚いたことがありました。それは子供の時に見た茨城の素敵な風景がほとんど失われていたことです。その典型は霞ヶ浦でした。学生に話をすると一様にみな驚きますが、私が子供の時、まだ霞ヶ浦では泳ぐことが出来たんです。海水浴ならぬ湖水浴ができる場所がたくさんあったんですね。水はきれいでした。遠くには霞んだ帆引き舟が風をうけて進み、透き通った水には魚がたくさん泳いでいました。

それでこれは何とかしないとと思い、色々な方に話を聞きましたが、霞ヶ浦をきれいにするには七八十年かかると、その当時言われてまして、もしそうなら自分が生きているうちに美しい霞ヶ浦は見られないと思うと、その何とかしないとという思いが急速に萎んで行ったことを今でも覚えています。

ところが、巴水の版画に、子供のころ見た美しい茨城の風景が残っていました。これには本当に感動いたしました。ですから、私としては巴水には忘れていた大切なものを届けもらったような感覚があります。

恐らく、私と同年齢、もしくはそれ以上の方が巴水の版画を見た時、私と同じようなもの(それを郷愁と言って良いように思いますが)を感じられるのではないか。そう思って巴水の会(正式名称、巴水とその時代を知る会)を作ろうと考えたわけです。

巴水の目、巴水版画のフレームで郷土を見つめ直すこと。これが今一番日本にとって大事なことではないかとも思います。そうした目で、我が茨城県を見れば、その貧しく小手先だけの町おこしが至る所で行われていることに気付きます。魅力のある県四十七都道府県中、茨城は四年連続で四十七位という事実の裏にはこの問題があります。

いずれ巴水に関して、そうした視点から一書を成してみたいと最近考えるようになりました。林望さんのような優れた芸術的文学的視点からの本ではなく(書こうとしてもそんなセンスがありません)、美術館のキューレーターの方たちのような専門的なものでもなく(時間がありません)、郷土、記憶、環境という点から巴水を鑑る、と言ったらよいでしょうか。昨今、中沢新一氏などが使っている流行りの言葉で言えば、アースダイバーとしての巴水と言ってもいいですね。

ともかく、そうしたものを目指してみたいと思っています。これから始めて、いったい何年かかるかわかりませんが、そうしたものを後世に遺してゆくのは我々世代の役割の一つかと思っています。




















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