野談がなかなか面白い!(「朝鮮漢文を読む会」報告1)

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いま、月に一回、早稲田で小峯和明・金英順のお二人をツートップにした「朝鮮漢文を読む会」が開かれていて、私も参加しています。


今、読んでいるのは柳夢寅『於于野譚』(以下『於于』)です。野譚あるいは野談は、朝鮮時代の説話・奇談で、多くの作品が残っていますが、この『於于』はその野談の嚆矢となったものです。私のみるところ、他の野談作品に比べて内容が面白いと思います。その理由は柳夢寅(1559‐1623)が壬辰丁酉倭乱(文禄慶長の役)等があった激動期に生きているからだと思います。話に出て来る人物も、私たちが良く知っている人たちです。


今回、丁度、李舜臣の逸話を私が担当しましたので、ちょっとご紹介します。



『於于野譚』18話(底本:『東話』)

■本文

萬暦壬辰癸巳間、統制使李舜臣之軍閑山島也。其子從軍于忠淸道、與倭遇斬三四級、逐北長駈、有一倭濳伏草間而伺、乗不意、突出撃之、堕馬而死、舜臣未之聞、後忠淸防禦使、擒倭十三、坐致之閑山島、其夜、舜臣夢其子遍身流血而來曰、降倭十三中、有殺我者、舜臣驚而悟、疑其子死、俄而訃音至、引降倭問之曰、某日某地、有人乘白赤駁馬、遇爾等、殺而奪其馬、馬安往、欲尋之、其中一倭、進而言曰、遇少年、乘如此馬、追我殺三四人、我埋一草間、卒起撃之、取其馬、納之陣將、問諸倭、信然、舜臣大慟、命牽而斬之、招子魂祭之、爲文以告之。


■訓読

萬暦壬辰癸巳の間、統制使李舜臣の軍、閑山島也。其子忠淸道に從軍して、倭と遇ひて三四級を斬り、北に逐ひて長駈す。一倭有りて草間に濳伏して伺ふ。不意に乗じ、突き出でて之を撃つ。馬より堕ちて死す。舜臣未だ之を聞かずして、後に忠淸道の防禦使、倭十三を(とりこ)にし、坐して閑山島に致す。其夜、舜臣其子に流血し來りて曰く、降倭十三中、我を殺す者有り。舜臣驚きて()む。其子の死をふ。訃音至りて降倭をきて之にふて、某日某地、人有りて白赤駁馬に乘り爾等にひ、殺して其馬を奪ふや。馬は安くにか往かん。之を尋ねんと欲す。其中の一倭、進みて言ひて曰く、少年に遇ふ。此の如き馬に乘りて、我を追ひ三四人を殺す。我、一草間に埋まり、(にわか)きて之をつ。其馬をりて之を陣將にむ。諸倭に(まこと)と。舜臣大いに(なげ)牽ひて之を斬ることを。子の魂をき之を文をしてて之に




■現代語訳

萬暦、壬辰と癸巳の間、統制使李舜臣の軍は閑山島にあった。其子は忠淸道に從軍して、倭賊に遭ってその三四人を斬り、さらに北にまで深く追い掛けた。一人の倭人がいて草間に濳伏して様子を伺った。そして舜臣の子の不意に乗じて飛び出し、その子を討った。子は馬より堕ちて死んだ。舜臣は未だにこれを知らずして、後に忠淸道の防禦使の金応瑞が、倭兵十三人を捕虜にし、これを舜臣の居る閑山島に送致した。其夜、舜臣の夢に其子が現れ、体全体を流血させて言うには、降倭の十三人中に私を殺した者がいます。舜臣は驚いて夢から覚めた。そして子供が死んだのではないかと疑ったところ、すぐにその子の死亡の連絡が届いた。降倭を引きだして、彼らに次のように問うた。某日某地、赤白の駁馬に乘った人間に、お前らは遇ったことはないか。そしてその者を殺して馬を奪ったことはないか。その馬は今どこに行ったのか、それを尋ねたいと。倭人の中の一人が、進み出て言うには、確かに少年に遇いました。先の話のような馬に乗り、我々を追い掛けて来て、三四人が殺されました。私は、草の間に埋まり、俄かに起きてその少年を討ちました。そして其の馬を奪い取って、これを将軍に進呈しました。他の倭人に確認するとその通りだと言う。舜臣は大いに嘆くと、その倭人を引きだしてこれを斬るように命じた。子の魂を招いて祭り、葬送の文を作り、敵を討ったことを子の魂に告げた。


■解説

 問題になるのは、この話に登場する息子が誰かである。李舜臣の事跡、特に壬辰倭乱中のものに関しては二つの資料が重要視されている。ひとつは『乱中日記』(壬辰丁酉倭乱中の日記)であり、もう一つは『壬辰状草』(李舜臣の壬辰丁酉倭乱中の朝廷への報告書)である。本話との関係で言えば、『乱中日記』に関係の深い記事がある。(なお『乱中日記』は全七冊、記事は壬辰(一五九二)五月~戊戌(一五九八)十一月まで。現在、原本は韓国忠清南道牙山市塩峙里白岩面、顕忠祠遺物館に所蔵)


[丁酉年十月記事](一五九七年)


十四日辛未、晴、四更夢余騎馬行丘上、馬失足落川中、而不蹶、末豚似有扶抱之形而覚、不知是何兆耶、晩裴助防及虞候李義得来見、裴奴自嶺南来伝賊勢、黄得中等来告、司奴姜莫只称者、多蓄牛隻、故十二隻率去、夕有人、自天安来伝家書、未開封、骨肉先動、心気慌乱、粗展初封見書、則外面書慟哭二字、心知戦死、不覚堕胆、失声痛哭々々、天何不仁如是耶、肝胆焚裂々々、我死汝生、理之常也、汝死我生、何理之乖也、天地昏黒、白日変色、哀我小子、棄我何帰、英気秀凡、天不留世耶、余之造罪、禍及汝身耶、今我在世、竟将依何、欲死従汝地下、同勢同哭、汝兄、汝妹、汝母、亦無所依、姑忍延命、心死形存、号慟而已、々々々々。


[訓読]

十四日、かのとひつじ、晴れ、四更の夢に、余馬にりて丘上を行く。馬、足を失ひ川中に落つにたをれず、末豚扶け抱ふの形あるごとくして覚む。是何の兆しか知らず。晩、裴助防及び虞候李義得、来見す。裴の奴嶺南より来たりて賊勢を伝ふ。黄得中等、来たりて告ぐる。司の奴姜莫只と称す者、多く牛の隻を蓄え、故に十二隻を率いて去る。夕、有人、天安より来たり家書を伝ふ。未だ封を開かず、骨肉まず動き、心気慌て乱れ、粗く初封を展きての書を見る。則ち外面に慟哭の二字を書けり。心にの戦死を知る。覚えず胆を堕し、声を失ひ痛哭して痛哭す、天何ぞ是の如く仁ならざるや。肝胆焚裂して、焚裂す。我死て汝生くること理の常なり。汝死て我生くる、何ぞ理にそむけるや。天地は昏黒にして、白日は色を変ふ。哀れ我小子、我を棄て何くに帰らん。英気つねより秀いで、天は世に留めざるか。余の造る罪、禍として汝の身に及びしか。今我世に在りて、つひに何をもっらん。汝に従ひて死し、地に下りて同勢、同哭せんと欲す。汝の兄、汝の妹、汝の母、また依る所なし。しばらく忍びて命を延ばし、心死して形を存しさけなげくのみ、さけなげくのみ。


『於于』は壬辰・癸巳(一五九二年、九三年)の記事であり、『乱中日記』は丁酉年十月(一五九七年)、まず年代が異なる。また、将軍の息子の死因が『乱中日記』には書かれていない。さらに、柳夢寅は壬辰倭乱当時、暗行御使(隠密)で甲午年(一五九四)等に『乱中日記』にもその名が登場する。暗行御使であれば将軍の動静には詳しかったと考えられることから、柳夢寅が年代を大きく取り誤るとは考えにくい。

しかし、北島万次「『乱中日記』にみえる降倭について」(『壬辰倭乱と秀吉・島津・李舜臣』校倉書房、二〇〇二年)も指摘するように、降倭が多く見られるようになるのは一五九四年以後であり、壬辰・癸巳(一五九二年、九三年)に十三人の降倭の話を持ち出している『於于』の記事は誤伝である可能性が高い。また、は年齢が分からぬものの、日記には「末豚」(上掲)「末子」(一五九七年十月十六日の条)と記され、日記を見る限りは、『於于』の「少年」に最も近い存在である。

また、後年のものではあるが、金堉(김육一五八〇~一六五八)の『潛谷遺稿』(十一巻九冊、金堉の詩文集。活字本。序跋なし。成立は十八世紀か[韓国民俗文化大百科])に、「母贈貞敬夫人草溪卞氏。公娶寶城郡守方震之女。生三男一女。長縣監薈。次正郞。公最愛其類己。壬辰。將母避賊于海曲。迎擊獨戰而死。年十七。(季の公、最も其の己に類ふを愛す。壬辰、將に母を賊より海曲に避けんとして、迎え擊ち獨り戰ひて死す。年十七なり。)とあり、母を助けるためという事情は違うものの、「年十七」は『於于』の記述とも極めて近似する。

 さらには、日記においてこの『於于』と『乱中日記』の持つ雰囲気、特に舜臣の嘆きについては近似したものを持つ。そこで、ここでは一応、本話の死んだ息子は末子ので、この丁酉年十月(一五九七年)の記事が、誤伝、或いは柳夢寅の記憶違いでこのような『於于』の記事になったと考えておきたい。


このほか、諸本調査(校異)や語釈をしながら読み進めて行くのですが、とにかく面白いですね。この話からも分かると思いますが、日本の怪談や奇談とはちょっと違って、野談はリアルです。小説に近いですね。ただ、その中にも不思議な話がけっこうあります。たとえば本話で言えば、舜臣の夢に息子が出て来ますが、この夢が大きな役割を果たしています。それは、今回取り上げた『乱中日記』などもそうで、舜臣は頻繁に夢を見て、その話を日記に書き込んでいます。


このブログで前にも取り上げたかと思いますが、私は朝鮮時代の小説、金萬重作『九雲夢』が好きで、これをよく読むのですが、野談や舜臣の日記に多く夢が出て来るのを知って、改めて『九雲夢』の「夢」の意味を考えさせられました。


それから、野談には様々な写本があって、その字体がまた面白いですね。上の写真を見て下さい。真ん中あたりの行に「興陽有」とありますが、その下の字は「民」です。なかなか勢いがあるというか・・・。『韓国漢字異体字調査』という資料が2002年に出ていまして、それを見ると日本とはちょっと違う不思議な雰囲気を持つ異体字が多く見られます。


『於于』は面白いのですが、話数が多いので、読み終わるまでに相当時間が掛かりそうです。去年の四月から始まりましたが、このペースで行くと、短くてもあと六、七年は掛かると思います。小峯さんは元気そのものだから大丈夫でしょうが、私がもつかどうか・・・(笑)


また、面白そうな話題が会で出てくれば、報告したいと思います。







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