韓国語訳『好色一代男』(鄭灐訳)に寄せて

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昨年の10月にお話しした韓国語訳『好色一代男』がついに出版されました。
ここ数年になかった慶事です。ほんとうに。。。

なぜそんな慶事なのか、今回と次回をお読みくだされば分かるはずです。。。

それで今回は、新しく翻訳された『好色一代男』(韓国、コミュニティボックス社、2017年1月)についてすこし説明をします。

まず、翻訳者は韓国、檀國大学の鄭灐さんです。鄭灐さんは檀國大学の日本学研究所長として永く活躍され、多くの書籍(単著、共著)を発表して来られました。

日本では筑波大学院で、西鶴研究の聡慧、谷脇理史氏のもとで西鶴を研究されました。

ご存知のように谷脇さんには多くお弟子さんが居られますが、私の知るところ海外からの留学生で本国に帰って活躍されている方が多いように思います。ちなみに韓国で活躍している西鶴学者のほとんどが谷脇さんのお弟子さんです。

その谷脇さんとのエピソードが本書に書かれていますが、特に心に残るのは、鄭灐氏が前の翻訳『日本永代蔵』を出版した時に、谷脇さんにそのご本を直接お渡しした話です(2009年7月のこと。後記に書かれています)。

すでに体調を崩されていた谷脇さんでしたが、少し無理をされて浅草まで出てこられ、鄭灐さんとカフェで会い、出版をたいへん喜んで下さったそうです。その後一ケ月あまりで他界されたわけですが、後に谷脇さんのご家族からのお話で、生前、家族以外で最後に会ったのが鄭灐さんだったとのことでした。

鄭灐さんはこれを「機縁」という言葉で表現していますが、まさにそうかも知れません。谷脇さんには多くの知友が日本に居たわけですが、そうした人でなく、韓国の鄭灐さんと最後にお会いになったというのは、谷脇さんの外国へ向けての姿勢が、はからずして現れたのではないかと考えます。

そしてその谷脇さんの他界を機に、鄭灐さんは新たに『好色一代男』の翻訳を決意されて取り掛かり、今日ようやく完成に至ったということなのです。

ちなみに、私が鄭灐さんを始めとする韓国の西鶴研究者と知り合ったのも、谷脇さんを介してのものでした。私が韓国について調べ始めた時、谷脇さんが手紙でそうした方々を紹介して下さったのです。そのお手紙には、外国で日本文学が研究されることが如何に大切かを述べて居られました。そのお手紙を読んでずいぶんと勇気をいただいた記憶があります。また、そうした谷脇さんに紹介された方々との繋がりが、私の韓国でのその後の調査やコミュニケーションにどれほど役立ったか分かりません。在天の先生には感謝の言葉しかありません。

さて、そうした機縁のもとに翻訳された『好色一代男』ですが、優れた翻訳になっていると思います。まず第一に本がハンディで手に取り易いということがあります。

前の『日本永代蔵』はA5版でハードカバー、本文の影印も入っていましたので、このスタイルは仕方のないところですが、少々大きいという印象がありました。ところが今回はシリーズものの一冊ということもあって四六版でソフトカバー、じつに読み易くなりました。

翻訳も分かり易い文章で書かれ、それを補うべく注が丁寧に施されています。

たとえば、『好色一代男』の巻一の一「けした所が恋はじめ」に「色道ふたつ」という言葉が出て来ますが、これを鄭灐さんは「女色と男色」としてその「男色」に注を施し、

なんしょく(男色)は男性間の同性愛を指す。日本では中世以来、主に武士の間で同性愛が流行し、近世期である江戸時代には、武士階級だけでなく一般人たちの間でも自然な形で受け入れられていた行為であった。衆道、もしくは若道とも言った。

と正確に情報を伝えています。特に、この「自然な形で」というのが重要で、ここを正確に示し、江戸時代における恋愛の状況を説明しておかないと、世之介は単なる好色漢、色情魔と受け入れられてしまう危険性があります。特に韓国や中国では重要です。

この危険性のドツボにハマってしまったのが、鄭灐さん以前の韓国語訳『好色一代男』でして、この問題については、次回にすこし詳しく述べたいと思います。

なお、この翻訳書には、いささか恥ずかしい限りですが、私の特別寄稿論文も載せていただきました。分量がありますので、ここで全文を紹介できません。題名と章題だけ紹介させていただきますと、

題:『好色一代男』を韓国からどう読むかー『九雲夢』を踏まえながら
章題: 1)『好色一代男』に対する誤解
   2)『一代男』の描写と詩情
   3)両班の教養、商人の教養

となります。要するに、『一代男』が韓国でいかに誤解されてきたか。そして『一代男』はエロチックな描写やその生態を描くことが主ではなく、人間の情愛とそれを俳諧的な詩情の文体で描きだしたものであること。さらに『一代男』は江戸時代上方の上層町人の教養がなくては、読みこなせないもので、朝鮮の『九雲夢』は両班層の教養を下地に作られていたが、それと同じように『一代男』も当時の日本の教養の粋を集めたものだった。そうしたことを強調いたしました。

いささか、『一代男』の教養を強調しすぎたきらいもありますが、それは韓国向けの意味合いもあります。次回に鄭灐さん以前の『一代男』の翻訳を少し取り上げて、この問題について考えます。その『一代男』の翻訳とは誤訳だらけの驚くべきものです。

それはともかく、今回の翻訳で韓国の方々にも『一代男』の姿、西鶴の世界が、正確に、そしてより豊かに伝わることになったと思います。
鄭灐さん、ありがとうございました。谷脇先生もきっと喜んで居られるはずです。



















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