庭!庭!庭!

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私が庭(とくに日本庭園)に興味を持つようになったのは、アメリカへ約一ケ月ちょっと滞在していた経験からです。

もう20年近く前になりますが、学生を連れて、勤務校の姉妹校であるアメリカのオクラホマへ滞在したことがありました。見渡す限りに平らなところで、オクラホマ市の郊外に出ると日本では北海道でしか見られない地平線が好きなだけ見られ、アメリカの広大さをしみじみ味わったものでした。ただ、その平らかさは、あの恐ろしい竜巻を生み出すものでもあって、オクラホマで見るテレビ画面右上には常に竜巻に関する注意喚起の情報が流れていました。

その滞在中、お世話になった大学教授のご友人が日本庭園を作っているので見に行かないかと誘われました。その当時は日本庭園にさして興味もなく、アメリカに来てまで日本庭園もないだろうと思いましたが、せっかくのお誘いなので拝見することにいたしました。

遥か先に地平線が見えるところに、まるで鎮守の森のようなこんもりとした林があり、その中に庭園がありました。さして広くはありませんでしたが、池をしつらえ魚が泳ぎ、小さな庭山があり、石組があります。池には橋が掛かっていて、その先には東屋がありますが、どうも変です。良く見ると橋の欄干が雷文(らいもん)、石も太湖石のような石、東屋は八角形です。日本風というよりはどこか中国風で、いささか古い香港映画になりますが、ブルースリーが悪者と闘った日本庭園によく似ています。

庭園の主は、庭を案内しながら、私にどうだと言わんばかりの口振りだったので、私も誉めるしかないと思って、日本にもこれだけのものはなかなか無いですよと申し上げたのでした(確かにこんな中途半端な、いやハイブリッドなものはないですから、「なかなか無い」は噓ではありませんが・・・)。

それから、二三日経って、今度は別の大学関係者から、近くに素敵なところがあるから行こうと誘われました。名前はレッドロックキャニオンというところです。私はグランドキャニオンをすぐに連想して、あそこまで大きくはないだろうがきっと立派な谷があるのだろうと期待に胸ふくらませて、往復4時間のちょっとした旅行に出かけました。

ところが行ってみて驚きました。この谷、もっとも深いところで10メートル程度、谷というより溝です。当時、私が住んでいた茨城県日立市の方が遥かに高低差があります。がっかりして宿舎に帰って来てから、日本語が出来、日本に詳しい先生にその不満をちょっと漏らしました。

その先生曰く、ここは土地がフラットで高低差がほとんどないから、そうした少しの谷でも貴重なんだよ。あの谷はここの人にとって憩いの場所なんだと。なるほどと思いました。そういえば、地平線に沈む夕日を見ながら感動している我々を見て、オクラホマの人たちは不思議がっていましたが、これと真逆の関係になっていたわけです。

あの庭園も同じです。庭園の周囲には林のようなものは一切ありません。何もないフラットなところに、こんもりとした緑と池と花木、まさにオアシスなんだと思いました。

そして、日本に帰ってから、調べてみると色々なことが分かりました。
まず、あのような庭園が北米、すなわちアメリカ合衆国とカナダにはたくさんあることです。ただ、よくエキゾチックとかジャポニズムとか言われますが、そういうものとはちょっと違うと思います。もっと切実なんじゃないかと思うのです。

オクラホマで、小さいながらも森や山、そして池や橋を作るというのは、あの耐えがたいフラットさの中で生き抜く力をそこから得ているのではないかと感じるのです。

さらに調べてみて思い当ったのは、アメリカ人の浮世絵、特に広重や巴水などの風景画に対しての高い関心が、そのことと関係あるのではないかということでした。広重や巴水の風景画には、四季折々の風物、雪月花や山川草木など様々な自然がまさに変化の権化として登場します。このような密度の濃い自然はアメリカ大陸、とくに南のオクラホマやテキサス等にはありません。

そう思っていたところ、カリフォルニア州バークレイ大のケンダル・ブラウンさんにお会いする機会がありました。新版画協会の設立会議でのことでした。そこでケンダルさんが話されたことは、巴水の風景画をなぜアメリカ人が求めるのか、それは全くにおいて、アメリカ人が多くの日本庭園をアメリカで作っていることと同じだという話でした。ケンデルさんは巴水版画の収集家であると同時に、アメリカにおける日本庭園の研究者であり、北米日本庭園協会(NAJGA)の会長でもあります。また、『QUIET BEAUTY』という北米(アメリカ・カナダ)の日本庭園についての写真集を出版されても居ます。(上の写真の右側に「QUIET」という文字があって燈籠の写真がある本が見えると思いますが、この本です)

思わず膝を打つとはこのことです。日頃考えていたこととドンピシャでした。

こうした様々なことがひとつに繋がってきますと、面白いもので、それまでの認識が大きく覆されてきます。たとえば、あのオクラホマで見た、日本と中国の中途半端な混合庭園が、妙に愛しいものに思えて来ます。確かにヘンテコリンだけど、そこにはパワーがある、何か目に見えない切実さがある。そんな気がしてきたのです。

そして、日本の静謐な究極のわび・さびを演出する庭園に何か欠けているものが、そこにありはしないか、と思うようになりました。実は、最近読んだものですが、先のケンダルさんと庭師の加藤友規さんの対談にも同じような指摘がありました。


この中でケンダルさんは現在の日本庭園が停滞している、守りに入っていると指摘しています。その意味するところ、多分多様なものがあると思いますが、私は日本庭園が日本というものに固執しすぎていないかと思っています。言うまでもなく、日本庭園のルーツは中国や朝鮮の庭園です。そこへもう一度回帰してみることも重要でないかと思っているのです。東アジア的発想ですね。

つまり、あのオクラホマや香港映画のヘンテコリンなハイブリッドな庭園の持つパワー、切実さをもう一度学んでみる必要があるんじゃないかと思うわけです。目指すは、ジャポニズムとシノワズリ(中国趣味)のアマルガム(合金)ですね。

言うまでもなく、中国と朝鮮(韓国)と日本の庭園は違います。その違いは重要で私もその点について関心があります。それは、この違いがこの三国の文化の違いと重なるからです。ただ、三者の根底には同じ自然に対する敬意というか交流というか、そうしたものが伏在していると思います。

なお、2013年の夏に韓国の『文献と解析』(63号)に発表した拙エッセイで「日本庭園の世界と文芸」というものがあります。韓国に日本庭園を紹介する意味もあって、若干概略的ですが、この中で簡単に日中韓の庭園とその文化の違いについての私見を提示してあります。韓国語で発表したもので、日本では発表しておりません。興味のある方はご覧ください。

















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