二次創作の楽しみは連句にあり!-BL連句「青りんご」の巻

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 俳人の金原まさ子さんのこと、ご存知でしょうか。


 現在、御歳取って百六歳、つまり紀寿あまり六(む)とせ、ということになりまして、あと二年で茶寿ですが、現在でも精力的に俳句を作り続けていらっしゃる、まあ驚くべきグランマです。で、とにかくその俳句が素晴らしいの、素晴らしくないのってあーた、たいへんですよ、これは。

 *茶寿は「茶」を分解すると十十に八十八、つまり101088108


  鈍行でゆく天国や囀(さえず)れる

  三個かも知れぬ排卵春満月

  わが足のああ堪えがたき美味われは蛸


 俳句ってのは感じるものだから、説明すると野暮になりますのであーだこーだ言いませんが、どうです、もうこの三句だけで金原ワールド全開ですよね。


 それで金原さんはBLもお好きだと言われます。その世界にのめり込むきっかけは、デヴィッド・ボーイと坂本龍一のキスシーンだそうです。ご存知『戦場のメリークリスマス』の一場面ですね。金原さんのことをもっとお知りになりたい方は、以下からどうぞ。


http://sea.ap.teacup.com/masakonn/


 さてそこで、金原さんの俳句を一句お借りして、BL俳句ならぬ、BL連句にチャレンジしてみました。


 連句(俳諧の連歌)はふつう三十六句(これを格好良く「歌仙」と言います。三十六歌仙に因む命名ですね)ですが、今回は全部やるのも大変ですから、表六句(最初の六句)のみとしましょう。


 で、最初の句(俳句と言わずに発句と言います。最初という意味ですね)としてお借りする句は、ちょっとBLの香りがするものをということで、


ふかい歯型の青りんご視てとり乱す まさ子

 をいただきました。どうです、イミシンで素敵な句でしょう。

まず、「ふかい歯型」だから女性じゃないですよね。しかも青りんごとなれば、酸味ものともせずにガブリ!ってわけですから、若い男に違いない。となれば、やはり美少年と見て良いでしょう。


それで、その「ふかい歯型」を見て「とり乱」したのは何故か・・・。その鮮やかな歯型に、美しい少年の口元や白い歯を思い浮かべてたじろいだのか、その部分に魅入っている自分のオタッキーな姿に驚いたのか、それともそこから自身の老いを知らされて打ちのめされたのか、いろんなこと妄想してしまいますね…。


ちなみに、青りんごの句と言えば、


  捥ぐや直ぐ口に泡立つ青林檎  林翔


 を思い浮かべるかも知れません。これはホリケンさんのジュンジュワーの世界で、金原さんの句と甲乙つけ難い名句です。それにしても、青りんごと言うと何故か口周りの分泌系の話になりますねぇ。青りんごが若さそのものの象徴だからでしょうか。


 これに私が二句目(脇句と言います)を付けました。


 ふかい歯型の青りんご視てとり乱す

口中涼しは若衆の範      獄雨  


 脇句は体言止めが良いとされています。客(お客さん)発句、脇亭主(おもてなしをする人)と言われるように、発句に寄り添う形がイイとされます。


 江戸時代の男色指南書『男色十寸鏡』に若衆は「口中清らに有べし」とありまして、発句の歯型の美しさは美少年のものに違いなしと見て「あまり取り乱さないでくださいね。模範的な美少年の口は、清らかなものと昔から決まっていますから」と返したのです。


 発句が「青りんご」で夏の季語ですから、「涼し」という同じく夏の季語で応対しました。

 ちなみに「獄雨」は私の俳号です。地獄の雨、なかなか凄みがあるでしょ。


 この発句と脇句に、畑中千晶さんが第三(三句目)を付けてくださいました。


 口中涼しは若衆の範

親指を落とすが辰弥の意気地にて    千晶  


若衆の「範」と言ったら、やはり上村辰弥でしょう、という付けですね。辰弥は、井原西鶴のお気に入りの役者です。第三は発句、脇句から離れてポーンと飛ぶのが良いと言われます。脇句が寄り添いますから、三句目が「飛ぶ」ことで連句にスピード感がでるからですね。だから「て」か「らん」で終わるように作ります。


千晶さんは、若衆の「範」と言っても単なる模範じゃなくて、辰弥の壮絶なエピソードを持って来ました。そのエピソードとは、とある座で、今どきの若衆は指は切れまいと、或る御仁から言われたことに対して、辰弥が「命も惜しくない、まして指など」と言いながら、見事人前で自分の親指を落としてみせた話(『男色大鑑』)です。なかなかの「飛ぶ」体です。


でもなぜ辰弥なんでしょう。優れた若衆と言えば他にも沢山いますのに・・・。と思っていたら、すぐに分かりました。次の四句目を漫画家の大竹直子さんが付けて来られたからです。はは~ん、大竹さんを呼び出すために辰弥を出して来たわけですね。行司の呼び出しのような句ですね。


それで大竹さんの句がすわ到着。


 親指を落とすが辰弥の意気地にて

右腕に当てる念者(あに)の山茶花   直子  


最初に送られて来た時には「山茶花」でなくて「赤い花」となっていました。ここは秋の句が欲しいので、私の方で「山茶花」と変えて取らせていただきました。こういうのを「捌く」と言います。

いやはや、それにしても、上手い付けです。切った親指の後、血止めの為に巻かれた布(念者の兄からもらったものですね)を赤い花で示したんですから。粋です、伊達です、セッシ(切指)ボンです(笑、座布団)。


こうなるともう次の句は決まって来ます。西鶴はんの登場ですね。


右腕に当てる念者(あに)の山茶花
浮世の月ともに見過ごす五十年    獄雨  
  

有名な西鶴の辞世句(世をおさらばする句、あばよー!の句)「浮世の月見過ごしにけり末二年」には「辞世、人間五十年の究り、それさへ我にはあまりたるに、ましてや」との前書きが付いています。つまり、人間五十年と言われる中、私はそれでも余っちゃったのに、余計に二年も長生きしました、という句です。西鶴が五十歳の時に辰弥が亡くなったことについては、前にこのブログで書きました。


http://someyatomo.seesaa.net/article/442337518.html


「見過ごす」は今の言葉だと「見逃す」ですが、江戸時代当時は言葉そのままに「見て過ごす」の意味です。この世の名月を、辰弥と西鶴は二人で五十年も見て過ごせた、これ以上何がありましょうや、だからこそ、西鶴は早く辰弥の傍に行きたかったんですよ、という句です。

ちなみに、五句目は月の定座で必ず「月」を詠まなくてはなりません。


さて、そして表六句の折端の句(連句は懐紙に書いて折りましたので、ちょうどその折目に当たる句を、こう言います。和ですねぇ)は千晶さんが付けました。


 浮世の月ともに見過ごす五十年

夜長にひとり『武士編』に萌ゆ 千晶 


 『武士編』はカドカワのコミック『男色大鑑』(武士編)です。「夜長」で秋ですね。春と秋は三句以上続けることになってます。それだけ大事ってことですね。


 千晶さんの句、これまでの五句を実に上手くまとめた句で、これもお見事です。パチ、パチ、パチ。

 最後に懐紙風にまとめておきます。


俳諧連歌、皆恋「青りんご」の巻、表六句

 平成の年、弥生十日あまり二日起首、六日満尾


ふかい歯型の青りんご視てとり乱す     まさ子 夏(青りんご)
  口中涼しは若衆の範          獄雨  夏(涼し)
 
親指を落とすが辰弥の意気地にて         千晶  雑
  右腕に当てる念者(あに)の山茶花   直子  秋(山茶花)
浮世の月ともに見過ごす五十年       獄雨  秋(月)
  夜長にひとり『武士編』に萌ゆ     千晶  秋(夜長)


なお、写真は江戸時代の本で『日本歳時記』です。端午の節句の挿絵です。

残念ながら「青りんご」については何も書いていないですね。

槍を持った男の子がかわいい。




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