高麗仏画展に韓国の「和」と「繊細さ」を思ふ

IMG_3952[1].JPG



東京の表参道から歩いて八分、根津美術館で高麗仏画展が開催されました。
3月の後半、韓国に旅行をしていたのですが、日本に帰って来て、ぎりぎり3月31日(展示の最終日)に急いで見に行ってきました。

いやはや、やはり高麗仏画は美しいの一言です。時のたつのも忘れて、一人でずっと見惚れておりました・・・。

高麗仏画とは隣国朝鮮の高麗時代(918~1392年)の後半とその後の朝鮮時代の前半に朝鮮半島で作られた仏画を言います。中心となるのは、大体、13、14世紀ですね。

普通、高麗仏画と言うと、阿弥陀三尊像、水月観音像が有名で重要文化財などに指定されています。確かに見事で、それをお目当てに展覧会に足を運ぶ人も多いでしょう。でも、私のお目当てはちょっと違います。同じ阿弥陀の尊像でも、八大菩薩の図像です。

八大菩薩図とは、阿弥陀如来を中心にして、八人の菩薩(観音、勢至、弥勒、地蔵・・・)を配した曼荼羅的図像で、その「九」のバランスが絶妙なのです。朝鮮的、韓国的「和」の世界と、その極致がここにあると言ってよいと思います。

私が、高麗仏画を初めて見て、魅了されたのは、いつのことでしたか。よく覚えていないのですが、とにかく、日本は「和」で繊細で、韓国は「直情」的ラテンで鷹揚という、その時まであった私の先入観を見事に粉砕してくれたのが高麗仏画でした。その時はショックでもありましたが、今にしてみれば、実にありがたい私にとっての事件でした。

今回の展示でも改めて感じ入りましたが、「和」もさることながら、高麗仏画の「繊細さ」は驚くべきものです。展示の副題に「香りたつ装飾美」とあるように、まさに仏や菩薩の着している薄絹に焚き染められた香がほのかに香ってくるかのようなのです。

むろん、高麗仏画の「和」「繊細」と日本のそれとは少し違います。

日本の「和」「繊細」は、可愛く美しい、韓国語で言うと「イェップダ」で、高麗仏画の「和」「繊細」は大らかに美しい、韓国語で言うと「アルンダプタ」だと言っておきましょうか。花で言えば、日本は桜、高麗仏画は無窮花(むくげ)とも言えますね。

ただ、この美しさは重なり合う部分も多いので、あまり厳密に分ける必要はないと思っています。

いずれにしても、高麗仏画の「和」「繊細」は絶品、いや昨今の朝ドラに敬意を表して、別品と言っておきましょう。

で、展示が終わってしまってから言うのも変ですが、やはり実物を見ないと、この「和」や「繊細」さは掴めないように思います。次回どこかで行われる時は、ぜひ見に行って欲しいと思います。(細かいところまで見落とさないために、単眼鏡をお忘れなく!)

高麗仏画は全世界で約160点が見つかっていますが、そのうちの約110点が日本にあります。そうすると、高麗仏画展は日本が中心にならざるを得ませんね。日本の高麗仏画を所蔵されている館は、今回の根津美術館のように積極的に展示を行って欲しいと思います。

いずれにしても、人間の偏見というのは恐ろしいもので、知らず知らずに偏見の虜になってしまいます。その意味で、私の中にある日本はこうで朝鮮・韓国はこうだという見方には、常に検証が必要だと思っています。その検証に役立つのは、いつも同じことですが、実物を見ること、に尽きると思います。

ちなみに、この実物を見ないと分からないというのは、韓国の人や物においても同じことが言えますね。

先週、久しぶりに韓国へ行って来たわけですが、今回は環境と文学の研究とその調査の為でした。その調査のために道峰山(トボンサン)という山の麓にあるお寺に行く途中、電車の中で何人ものお爺さん(ハラボジ)と話をしました。

日本と同じように韓国の電車にも、お年寄り用のシートがありまして、そこにハラボジたちが座っています。日本と違うのは、そのシートに若い人は座っていません。ハラボジ、ハルモニ(お婆さん)たちの独占となっています。

私が立っていると、あるハラボジが私を呼んで座れと言います。私の髪は半分ほど白髪ですから、お前もハラボジだろう、無理して立っていないで、こっちへ来て座れ、ということなのでしょう。韓国では五十代、六十代で白髪の人はあまり居ませんね。たぶん、白髪自体が少ないのと、白髪があっても皆染めてしまうからだと思われます。それほど若く見せたいという心理が韓国の方にはあるのです。

ま、それで無下にもできずに、座りますと、お前はどこから来たということで、日本からですと言うと、それはよく来た、このミカンを食べなされ、このガムも美味しいぞと色々いただきながら、俺は日本に行ったことがあるが、きれいで良い国だ。韓国では何を食べた?これこれの料理が美味しいぞ、ソウルにこんな店があるぞ、と大いに盛り上がりまして、私が電車を降りる時には、一人ずつ握手をして別れを惜しみました。

韓国でなら、ハラボジになるのも悪くないなと思いました(笑)。

韓国へ行くといつもそうなんです。とにかく人、それはお年寄りも若い人もイイ。心と心がすっと繋がるというんでしょうか。

よく韓国に何度も行っていますと言うと、嫌なことを言われたりしませんかと聞かれますが、そんなことは今の今まで一度たりとしてありません。

昔、安宇植先生(昨年に12月20日に少しエピソードを出しました)からお聞きした話ですが、昭和50年代に、先生がソウルの地下鉄に乗っていて日本語で話をしていたら、ある韓国人に「ここで日本語をつかうんじゃない」と”日本語”で怒られたそうです。安先生も怒って、お前こそ、いま日本語を使ったじゃないか(笑)と言い返したそうですが、そんな昔の笑い話が残っている程度です。

いま、政情がいささか不安定ですから、隣国(中国も含めて)をどう見るべきなのか、どう付き合ってゆくべきなのか、不安になって居られる方も多いかと思います。

私の拙い経験から言えば、その不安に即効薬はありません。情報や知見を多く仕入れることは大切ですが、それに伴い、不安になる情報もまた多く入って来ますから。

やはり、直接韓国人や在日の方々と話す以外にないと思います。会って話して、いったいに何を感じ考えているのかを聞く、そのダイアローグからしか、不安解消は出来ないと思います。

前にもこのブログで書きましたように、日本人の約8割、韓国人の約9割もの人が、相互の国に、ちょっとであっても話が出来る知人が居ない、居たことがない、というアンケート結果が出ています。

この状態で、情報だけが飛び交えば、知らぬ間に偏見が増幅されるのは必定ですね。会って話をするというのは、勇気の要ることですが、朝ドラの「べっぴんさん」で幸せを呼ぶ四葉のクローバーの最初の葉は「勇気」でした。

人にしても物にしても、まずは実見ですね。

下の写真は、ソウル近くの道峰山の途中にあった風景です。韓国の山は岩と水の取り合わせが実に美しいです。

追伸:なお、前半で触れた高麗仏画八大菩薩図の「九」という数、これは当然、朝鮮時代の古典小説「九雲夢」の「九」と繋がってきます。この点については、近日に出版されるアジア遊学『東アジアの仏伝』(小峯和明編)に一文を載せましたので、ご参照くださるとありがたいです。


IMG_3915[2].JPG










この記事へのコメント

最近の記事

最近のコメント