金が全てじゃねぇが、全てに金が必要だ!

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金が全てじゃねぇが、全てに金が必要だ!(『闇金ウシジマくん』より)

3月27日(月)に青山学院大学にて西鶴研究会(44回)がありました。私もそこで発表をさせていただきました。
本来なら、西鶴研究会のブログでその報告をしなくてはならなかったのですが、やはり27日というのは年度も押し迫った日で、すぐ翌日からは新年度の準備等に入らねばならず、その余裕が全くありませんでした。

ここで自分の発表のところだけでも少し、ご報告しておきたいと思います。
私の発表タイトルは、

西鶴と江戸時代の経済・経営書-『通俗経済文庫』を中心にー

というものでした。
発表の内容というか、結論はすこぶる単純なものでして、

①日本の経済小説史を『日本永代蔵』を嚆矢として考えましょう。
②経済小説というのは経済・経営書と物語・小説の中間地帯にあるグレーゾーンが重要です。
③江戸時代においてこのグレーゾーンに注目すると、『通俗経済文庫』にスポットがあたります。

ということでした。
特にこの「経済小説」ですが、従来、

昭和三十年代の日本の文壇に二つの事件があった。一つは松本清張氏をその頂点とする推理小説の流行、一つは城山三郎氏をそのパイオニア(先駆者)とする経済小説の出現である。しかし、この国では初めての新しい小説ジャンルである経済小説は、小説としてはかなりむずかしい分野であるだけに、推理小説ほど華やかな存在ではなかった(城山三郎『総会屋錦城』の文庫版【新潮文庫、一九六三年版】小松伸六氏の解説)

とあるのが代表的で、他も大体この「城山三郎以後」を踏襲しています。しかし、この捉え方ではいささかならず狭すぎますね。日本で本格的に経済社会が始まったのが江戸初期で、同じく本格的な小説の時代が到来したのも江戸初期です。そしてそこに登場したのが西鶴の『日本永代蔵』ですから、この作品をスタート地点において以後、その歴史を考えることがどうしても求められるように思います。

今回の発表では、『通俗経済文庫』の中から幾つか取り上げて、そのグレーゾーンの世界を少し説明させていただきました。
今後も、この世界を探究しつつ、またご報告をさせていただきたいと思います。

なお、最初に掲出しましたのは、大関為孝の『富貴自在集』(天保8年、1837)に載る「しやうぢ木」の図です。
なかなか上手く出来ていませんか。

ちなみに、この「正直(しょうじき)」ですが、商人の教訓書・経営指南書には必ずと言って良いほど強調されます。現代の我々(と言うよりは、学者・教育者と言った方が良いでしょう)からすれば、日めくり教訓カレンダーを見せられているようで、何とも退屈ですが、商人(これは現代も同じでしょう)にとっては極めて重要なものです。

江戸時代から「商人と屏風は直ぐには立たぬ」(曲がらなければ立たない)と言われたように、正直にやっていては成り立たないのですが、しかし反対に正直にやらないと信用が得られません。この信用がないと商人はダメなのです。つまり、この「正直」というのは商人にとって極めてアンビバレンツなものなんです。

個人的な話で申し訳ありませんが、私の父は商人でして、その傍らでずっと父を見て来ましたので、このことはよく分かります。

ちなみに、このアンビバレンツは政治家においても同じかも知れませんね。前に、或る高名な宗教家の傘寿のお祝いに政治家がたくさん集まったそうです。その政治家のお一人が宗教家に「長寿の秘訣をお教え願いたい」とお尋ねしたところ「正直になって生きることです」とお答えになったそうです。そして会場は静まり返ったとか。。。(笑)

前にもこのブログで書きましたが、単純な教訓を馬鹿にしてはいけないと思います。問題は、その教訓を「誰が」「何処」で言ったのか、テクストでなく、コンテクストが重要なんです。

自戒を込めて言えば、大した金の苦労をしたこともなく、選挙で落ちたら「ただの人」以下になる恐怖もない学者が、簡単に片付けられる問題ではないのです。

なお、拙発表内容の一部を、『文学・語学』(全国大学国語国文学会、218号、創立60周年記念号、2017年4月)に書きましたので、興味のある方はそちらをご覧ください。

















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