BLのカップリングのルーツは、超素粒子のクォークか?(男色講座2)

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男色講座の二回目、「男色とは何か」。。。

男色は、異端・周辺でなく、文明・文化の《中心》にある。そして、それは人間の《死》と深く浸透する。
というテーマで話をさせていただきましたが、時間が足りず、次回もこのテーマです。

そうなっちゃったのは、第一に私の段取りが悪いのですが、今回、漫画家の大竹直子さんが如上の若衆人形を教室に持って来てくださっていたことも理由の一つです。

まだ、どんな人形か見ておりませんでしたので、気になって、気になって、授業しながら、ちら見すること十数回(笑)。
ただ、見ようったって箱に入っているので見えないんですがね。でも、なぜか気になるんです。

授業の休憩時間に学生にも見せようかということで、本当は私が見たいばかりに、そんなことも考えましたが、きちんとお見せするには時間がかかります。それで諦めまして、結局、勉誠出版に行ってのお披露目となりました。

ご覧ください。噂に違わぬ美貌です。驚いたのは、右から見た印象と左から見た印象が全きに違うことです!!!
まるでモナリザ・・・・。

右から見ると柔らかな微笑みで優しさに包まれますが、左から見ると、男子らしいきりっとした表情で寄らば斬るぞの雰囲気を醸し出しています。(上の写真ではその二面性はあまりよく出ていません。。。え、なんでその二面性の分かる写真をここに載せないかって・・・。そういう大事なところは簡単には見せないんです、あしからず)

いつ、何方が、どのような理由でこの人形を作られたのか、すこぶる興味が湧くところです。

実は、私の父は人形師で雛人形を作り販売するのを生業にしておりまして、それで人形には人一倍慣れ親しんできた歴史があります。人形というとどうも勝手にリビドーが動きだすみたいです。

そうした眼から見て、この人形は相当凝った造りであることが見て取れます。とくに頭ですね。どこかの頭を真似てとか転用してというものでなく、若衆としての息を吹き込んであるように思いました。

ただ、それほど古いものではないように思います。この頭は、埼玉は岩槻あたりの頭屋の職人さんが、特別に注文を受けて、そう戦前か戦後まもない頃に作ったのではないでしょうか。

たぶん、一体ではないと思います。同じものが数体はあるはずです。
ご存知の方がいらしたら、ご教示たまわれば幸甚です。

さて、すっかり男色講座のこと、どこかに行ってしまいました。

ま、今回は途中までですし、脱線につぐ脱線が多かったので、次回にすこしまとめますが、その大脱線で量子力学の超素粒子の話をしました。なんで、そんな話になったのかと言いますと、現在の学問は驚くべき進化をみせていて、それは従来の常識をことごとく覆しつつあり、その地殻変動の一つとして男色も捉えて欲しいという話の中でのことでした。

では、その驚くべき進化とは何かということの例として、超素粒子の話をしたわけです。

ただ、その話の過程で、クォークがカップリングが基本のスタイルですから、そのカップリングはBLの何でもカップリングにする姿勢に繋がっているかも、なんて与太話をしてしまいやした。あーぁ。

でも、後で考えてみると、これ、全く関係なしというものでもないんですね。

以下に書いたものの一部ですが、再録しておきます。

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岩波書店から『海域アジア史研究入門』(2008年)という古今独往の入門書を上梓した桃木至朗氏(アジア海域史、大阪大学教授)は、いま私が最も注目する研究者の一人である。

その桃木氏が、すこし前のことになるが、「大航海時代とその帰結」という文章の中で、世界史を叙述する際に、国と国、民族と民族、人と人を中心に据えてはならず、それらの前に「関係」や「システム」があったこと、また今もあることを示すべく、こんなことを書いて居られた。

◎近代科学は一般に、物質界なら原子、人間社会なら個人など「それ以上分けられない最小の単位」がまず存在し、それが結びついて物質や社会ができあがる、という順番でものを考えてきた。ところが原子をどんどん分解して素粒子の世界に入っていったら、最後に「強い力」「弱い力」「電磁気力」「重力」の「4つの力」という物質ではないものが残り、「最小の物質がまず存在する」という観念は崩れてしまった。社会科学でも同様に、最初に「個」があって次に集団が成立するのでなく、「個」は他者との「関係」や「力」の中でしか成立しないことが認識されてきた。

◎世界(国際社会)を考える際に、原子や個人に当たる最小単位として考えられてきたのが、国家と民族である。世界システム論や、そのヒントとなったブローデルの「地中海世界」論は、そこを変えようとした。つまり、ある「世界」の構造や状況こそ独立変数であると考え、その中での個々の国家や集団の動きをむしろ従属変数ととらえるのである。西欧の近代化とりわけ資本主義化は、どれかの国の内部発展が周辺に波及しておこったのではない。それは世界進出の結果として出現したところの、西欧を中心(中核)としラテン=アメリカや東欧を周辺(辺境)とする大規模な分業システムつまり「ヨーロッパ世界経済」(=近代世界システム)がもたらした出来事だった。ではその世界進出はなぜ起こったか。それは、14世紀以来の危機を領土拡大によって乗り切ろうとする(別に近代的でない)ヨーロッパ世界全体の動きが、いろいろな偶然が重なって成功したものと理解される。(連載、グローバルヒストリー、第4回、帝国書院、2007年4月)(引用ここまで)


多くの文系学者は、あまり知らないと思われるのだが、キョービの物理学というか量子力学というか、その手の世界というのは、とんでもないことになっていて、我々の常識は悉く覆されている。

例えば、我々の良く知っている原子核と電子の図(原子核を電子が回る)の原子核は陽子と中性子に分かれ、さらにその陽子と中性子はクォーク(Quark)から成り立っていることが明らかになっている。で、問題はこのクォークなのだが、これが単独では成り立たずに常に関係性の中で成り立つものらしい。例えば、クォークにはクォークと反クォークの組み合わせがあるのだが、この二つを引き放すと、それぞれに反クォークとクォークを真空の状態で生み出す、つまり、


「クォーク+反クォーク」を


「クォーク」← →「反クォーク」の状態にすると、


「クォーク(旧)+反クォーク(新)」「クォーク(新)+反クォーク(旧)」


という二つの組み合わせに分裂するということである(このクォークと反クォークをくっつけている力が桃木氏の言う四つの力のうちの「強い力」である)。

クォークはこのクォーク+反クォークの組み合わせ以外にも3つで構成される組み合わせもあるので、ここからすぐに、これこそ陰陽(五行説)だ!などとは言ってはいけないのであるが(笑)、ともかく、物質の根源たるクォークは、関係性という海の中に漂っているということである。


桃木説は、社会学を援用しながら、この関係性を、人と人、国家と国家にまで持って来る。いささかならず飛躍があるが、物質存在の根源に関係性しかないというのは、あらゆる物事を、そうした関係性の中から捉え直す必要があるのではないかという気にさせてくれることは確かである。

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