新本『男色を描く』(勉誠出版)の出版記念トークが行われます
いよいよ、姿を現しました、新本の概要。
まずは書影、井原西鶴と上村辰弥のツーショットです。
江戸時代きっての売れっ子草子作者と、観客に「殺しをれ」(殺してくれ)と叫ばせた、美貌の若女方。
大竹直子さんの神域に迫る流麗な筆で描き出された二人のむつみ。
辰弥が元禄四年に謎の死を遂げたあと、西鶴は二年後に亡くなります。
浮世の月見過ごしにけり末二年 西鶴辞世句
(この世の月を二年も余分に見てしまった・・・)
西鶴は、辰弥のあとを追いかけたのか・・・。この表紙はそんな二人を彷彿とさせますね。
そうしたミステリーも含めて、8月25日(金)午後8時より、下北沢の書店B&Bで、畑中千晶さん、大竹さんと私の三人で、新本出版を記念して語ります。
ご用とお急ぎでない方は(って、金曜の夜に用も急ぎも無いでしょうけど)ぜひいらしてください。損はさせません。
新ネタ、新説を仕込んでおきます。
で、その新説ではありませんが、先週、私の授業に大竹直子さん、あんどうれいさんがいらして下さって、ゲストスピーチと相成りました。
いやぁ、面白いこと極まりなしで、一時間半があっという間に終わってしまいました。
とくにその中で、オタ語が、出て来るわ、出て来るわ。
思わず、あたしは黒板にその一部を書き出しまして、それが大ウケいたしました(笑)
その時の黒板がこんなんです(笑笑)
ちなみに学生には、シャメ撮って公開などしてはイケマセンと、その時言いました(笑笑笑)
それはそれとして、今回、お二人の漫画家さんのお話をじっくりと聞かせていただいて、感心したことが幾つもありました。
その一つが、お二人が、日頃漫画家としての鍛錬を欠かさず、日々精進されていることですね。
あんどうれいさんによれば、何十秒ごとにポーズを変えるモデルさんを、素早くデッサンしては次に移る、それを延々と繰り返す練習というか鍛錬の方法があるのだとか。若い時にそうした修行を相当されたとのことです。なるほど、そうした末に的確な人物描写が可能になるのでしょうね。好きなものをただ好きなだけ描けば良いというこではない。我流はすぐに行き詰まりますね。
また、大竹さんは、古典を学ぶ上で最も重要な話をしてくださいました。それは、現代の感覚を簡単に持ちこまないということです。昔と今では様々なものが違います。その違いを理解して楽しむことが大切で、現代の感覚で過去を切り捨てないことが大事だとのことでした。男色はまさにそのものズバリです。
男色そのものを知ることも大切ですが、もっと大切なのは、男色がどのような時代の空気の中に花開かせていたのか、です。
日頃から私もこの点を学生のみなさんに伝えたいと思っているのですが、なかなか難しいですね。でも、大竹さんのユーモアと蘊蓄に富んだ話の中に、その姿勢は自然と表れていて、実に説得力がありました。
ちなみに、大竹さんの言われるような柔らかい思考を持たないと、逆に、様々な問題を生んでしまうことになります。その例は現代で散見します。
たとえば、お隣の中国や韓国と日本との歴史認識の違いというのもそうですね。
現在、尖閣諸島や竹島(韓国名:独島)がどちらに属するかでもめていることは良くご存知のことでしょう。
結果、古い地図や古文書を引きずりだして、あーでもない、こーでもないと、かまびすしい議論が起こっています。
しかし、この議論には根本的な何かが欠落しています。それは、近代以前、海というものがどのように捉えられて来たのかということです。
蒸気船で大洋をつっきることが出来るようになるまで、帆船では風まちをしながら、陸地伝いを進むのが通例でした。そして海に対する恐怖の観念がどこに国にでもありました。人々は海神を祀り、安全な航海を祈ったのです。たとえば、江戸時代の朝鮮通信使の一行は、釜山から日本に渡るとき、海神を祭祀しています。
そうした時代に陸地から遥かに遠い島を、誰の所有かで議論したかどうか、ちょっと考えれば分かります。陸地から遠い島は人間の領域のものでなく海神の領域のものでした。それを人間がどちらの所属かで争うなど有り得ません。
つまり、尖閣や竹島(独島)を国家が取り合うようになったのは、そうした海神の信仰がほぼ消え去った近代以降のことなのです。その近代以前に現代の国境問題を持ち込むのは本末転倒で愚の骨頂です。
加えて、そうした信仰心や宗教心には、神仏への畏敬の念と同時に、環境への配慮もありました。海神の怒りに触れないように、さまざまなバランスをとった航海や漁法が行われ、それが結果として環境を保全したのです。
ところが資本制全盛の時代になって、後先考えずに魚を捕り尽くしてしまうことが起きます。島も人が上陸して建物を建てれば、他の生物は寄りつかなくなります。竹島(独島)のアシカが良い例です。
つまり、宗教や信仰には様々な人間の知恵が隠されているのです。ところが、宗教や信仰を乗り越えたと勘違いした人間は、その知恵自体も捨ててしまう結果になりました。
とすれば、男色もどうでしょうか。現代で言う、同性愛やホモセクシュアル・ホモソーシャルの部分も含みますが、実はもっと大切な知恵がこの「男色」には隠されているのではないでしょうか。そしてその知恵がどのようなものであるのか、現代の人間にはまだほとんど分かっていません。
じゃ、染谷はそれを分かっているのか?
いや、正直言えば、まだ良く分からないのです。ただ、そうした知恵が隠されていることだけは強く感じます。
その知恵という宝を捜しに行く、その冒険旅行こそが「男色」を考える最大の楽しみなんです。
どうです、みなさんも一緒にその旅をしてみませんか。
この記事へのコメント
今回の本についてはお世話になりました。御玉稿拝読して編者の畑中さんと二人で、内容の面白さ、新しさ、文章の的確さに、しみじみ感じ入っていたところです。本を手に取られた方も同じように感じられるかと思います。
今回の本に牡丹の華やかな彩りを添えて下さり、心より感謝申し上げます。今後とも、機会がありますれば、ぜひご一緒に仕事ができればと存じます。
本日、コメント欄の通信を発見しました!!
このたびは、貴重な情報のギュッと詰まった魅力的なエッセイと、作品世界へと読者をいざなう、印象的なマンガをご執筆くださり、本当に有難うございました。反響が続々と届いております。中国からの留学生の指導にあたっておられる教員の方からも、非常に参考になりますとコメントを頂きました。今後も共にお仕事する機会がありますようにと願っております。引き続きどうぞ宜しくお願い申し上げます。