『男色大鑑』は当時、どれくらい売れたのか

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(8月4日の湯島探索の後、行ければ行きたいと考えていた谷中の幽霊画展[全生庵]に行って来ました。ここは山岡鉄舟ゆかりの寺で、かの三遊亭圓朝のお墓もあります。そのおどろおどろしい姿を暑気払いのためにも、ここで紹介したいのですが、写禁ということで載せられません。そこでその全生庵の脇に猫カフェがありまして、これが実に可愛いのです。怖さでなく可愛さからのぉー暑気払い、ということで。)

さて、男色大鑑祭りでは事前に多くの方々から、ご質問をいただいておりまして、それを当日お答えしたいと目論んでおりました。大竹直子さんをはじめ、発表者から幾つかお答えがありましたが、やはり時間がなく、今後ブログの中でという話をさせていただきました。今回はその第一弾です。(なお、この夏はことのほか仕事が立て込んでいまして、第二弾以降は、ぼちぼち行きますので、気長にお付き合いください)

ご質問の中に、『男色大鑑』は出版当時、どのくらい売れたのですか、というものが幾つかありました。今回はこれにお答えします。

答えは「よくわかりません」、はい(笑)。

というのは、出版点数を知ることができる資料が残っていないからです。
ただ、ある程度の推測はできます。以下、その辺りをのべてみます。

江戸時代の小説、とくに前期・中期のものが、どれくらい売れたのかを推し量る資料は、残存する本の種類と数です。国文学資料館の日本古典性総合目録データベースを見ますと、『男色大鑑』は10本程度が全国に残されていることが分かります。この10本、種類はほぼ同じ、つまり同じ版木を使ってますので、それほど多く売れたものではないことが分かります。いまで言えば、重版出来!とはならなかったのですね。

ケースバイケースですが、江戸時代当時、一回の出版では大体200~300部ぐらい摺ったのではないかと言われます。これは版木の磨滅等を考えると、そのくらいが限界なんですね。これについては、先日、銀座にある渡邊木版美術画舗に行きまして、社長の渡邊章一郎さん(「なんでも鑑定団」によく出演されている方です)と種々お話をさせていただいたときに、浮世絵の版木を見せていただきながら、現代に復刻(改めて版木を作り直したもの)でも、だいたい200部が限度だとおっしゃって居られました。

そうした点から考えると、『男色大鑑』は後で摺られたものも含めて、600~800部程度だったんじゃないでしょうか。

ちなみに、西鶴の作品で、最も多く売れたのが『日本永代蔵』で、60本近く現存し、版も違うものがありますので、かなり売れたことが分かります。また、西鶴の小説の第一作である『好色一代男』ですが、これは残存する本は、20本程度ですが、版の違うものや、絵本になったものもあり、多く読まれたことが分かります。

ただ、『男色大鑑』は全然売れなかったのか、人気がなかったのかというとそうでもなさそうです。

というのは、『男色大鑑』には改題本の『古今武士形気』という本が出版されているからです。これは『男色大鑑』の巻二~巻五までを改めて編集しなおして、五冊に作り変えたもので、出版されたのは、宝暦八年(1758)です。おそらく、『男色大鑑』武士編の人気があって、それだけを集めて売ろうとしたのでしょう。ただし、かなりいい加減な本であることは間違いありません。だって題名に武士と言っているのに、巻五(歌舞伎若衆編)が入っていますから(逆に勘ぐれば、後半の巻五~八では巻五が人気があったのかも知れませんね)。

で、ちょっと面白いのは、この『古今武士形気』の巻一のラインアップをご覧ください。

巻一の一 詠めつづけし老木の花の頃 
巻一の二 色に見籠むは山吹の盛り
巻一の三 雪中の時鳥

この三作が巻一にまとめられています。これは恐らくは人気のあった章を最初に持って来て、人目を引こうとしたに違いありません。
そこで思い返すのは、今回の男色大鑑祭りの結果ですね。

第一日目(8月3日)
1位 主水❤半右衛門 詠めつづけし老木の花の頃
2位 主馬❤義左衛門 色に見籠むは山吹の盛り
3位 小輪❤惣八郎

第二日目(8月4日)
1位 主水❤半右衛門 詠めつづけし老木の花の頃
2位 小輪❤惣八郎
3位 甚之介❤権九郎 と 勝弥❤源介

一日めの一位と二位、二日目の一位の結果と奇しくも符合することです。また、過日のヒストリアで大々的に取り上げられたのも、この二章と「傘持つてもぬるる身」でした。

そうすると、江戸時代と現在の嗜好はけっこう重なるのではないかと思われてきます。これは面白いですね。

それから、『男色大鑑』がいくらで売られたのか、その値段ですが。。。

江戸時代にはどのような本が出版されたのかを知るために便利なものとして、書籍目録があります。「しょじゃくもくろく」と読みます。元禄九年(1696)に出された『増益書籍目録大全』は作品の下に値段が付いているので、当時の価格が分かります。これによると『男色大鑑』は「八匁」とあります。「匁(もんめ)」は銀で、計量貨幣なのですが、現行の円に直しますと、約1300円ぐらいでしょう(これには計算方法が色々あって簡単には結論が出せません)。

そうすると、『男色大鑑』は大体1万円ちょっとということになります。少し高いですね。同じ書籍目録を見ますと、『好色一代男』は5匁ですから6500円。両書とも基本は八巻八冊ですから、『男色大鑑』はかなり高めということなります(ただし丁数[ページ数]が違います)。

これはまったくの推測でしかありませんが、現存する『男色大鑑』の本、とくに初版と言われる早稲田大学蔵のものなどを見ると、挿絵や版の構成が見事で、摺りが良く、まさに美本として作られたことが分かります。つまり、誰かれ構わず売ろうとしたものでなく、旦那衆を中心にしたお金持ちの商人、または上層の武士に売ろうとしたものではなかったかと思います。

つまり、『男色大鑑』は、『日本永代蔵』や『好色五人女』のような売らんかなの姿勢でなくて、分かってもらう人に売る、だから本作りは丁寧に、そして価格はちょっと高く、というコンセプトじゃなかったかと思うのです。過日のお祭りでも言われたように、『男色大鑑』は西鶴の最も厚くて薄い本というのは、まさにその通りということでしょうか。

(なお、今回は残っている版本等の資料から推測しました。ただ、当時の本の享受は、別に貸本という方法もありましたし、また、音読(例えば店の主人が手代や丁稚に読み聞かせをするなど)という方法もありましたので、どの本がどれくらい売れたのか、人気があったのかは簡単には答えが出せません。上記のことはあくまでも一説としてお聞きくださればと存じます。)


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