タイのバンコクで『男色大鑑』の話をしてきます

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(もう、10年近く前、タイのアユタヤで撮った写真)

明日からタイへ行きます。バンコクにある、チュラーロンコーン大学で、8月25日に、

タイ国日本研究国際シンポジウム2018「メディア時代の日本研究」

という学会が開かれまして、それに参加して発表させていただく予定です。

私の発表の題目は、

現代日本のBL文化と古典の再評価
-西鶴『男色大鑑』研究におけるエンターテインメントとアカデミズムの協働

発表要旨は、

20世紀末から日本の一部で継続的に人気を博して来たBL(ボーイズ・ラブ)のコミックは、ここ数年で大きな文化的役割を果たすようになった。それはBLが古典の世界へ踏み込み、その古典作品を再評価する動きをもたらしていることである。その代表は井原西鶴の『男色大鑑』(1687年刊行)である。
2016年5月~9月、KADOKAWA/エンターブレインからコミカライズされた『男色大鑑』三冊(武士編、歌舞伎若衆編、無惨編)が出版され人気を博した。このコミックの特徴は、第一線のBL漫画家たちがこぞって参加するとともに、西鶴の気鋭の研究者である畑中千晶が分かりやすい解説を書いたように、エンターテインメントと学術世界が協働で西鶴の文学世界に迫ったことである。この動きはさらに『男色大鑑』を長年研究してきた染谷智幸と畑中千晶の共編による『男色を描く』(勉誠出版、2017年)に結実し、その巻頭の座談会では『男色大鑑』のコミカライズを担当した大竹直子(漫画家)とコミカライズを編集した斉藤由香里(編集者)を招いて四人による多角的な検討を行うことになった。
こうした、エンターテインメントとアカデミズムが協働する動きは、その後もさらに加速度的な広がりを見せ、染谷を代表とする若衆文化研究会の発足(2017年11月に第一回、2018年2月に第二回、6月に第三回を開催)、日本の公共放送NHKの番組「歴史秘話ヒストリア」(2018年4月)への大竹の『男色大鑑』のコミカライズの採用、染谷の出演(2018年4月)、そして「男色大鑑祭り」と称して百人近くの『男色大鑑』ファンを集めての交流会(2018年8月3日、4日)、『全訳 男色大鑑』の出版(2018年11月に武士編、2019年6月に歌舞伎若衆編の予定)へと繋がっている。
本発表では、こうした流れを紹介しながら、なぜ『男色大鑑』が今注目されているのかを考えるとともに、古典の再評価にBLを始めとするエンターテインメント(特に漫画家の意識)とアカデミズムがどう関わっているのか、また関わるべきなのかを考察し問題点を洗い直してみたい。
周知のように、タイは性的多様性に対して寛容であり国民の関心も高い。そのタイで、日本の性的多様性をめぐる文化状況を説明し、意見交換をすることは極めて意義深いと思われる。欧米中心の傾向にある性的多様性の問題には、アジアの視点が欠如しており、その修正が必要なことは言うまでもない。本発表はそこへ向けての試金石としてみたい。

というものです。

要するに、ここのところの『男色大鑑』の日本での動きを紹介し、その意義と問題点を説明しながら、ご意見をいただくということになります。私の発表は紹介が中心になりますが、拙発表の後に、畑中千晶さんが、きちんとした『男色大鑑』の作品論をやってくださいます。

要旨にも書きましたように、タイは性的多様性に対して比較的寛容な社会だと思われます。そこで日本の動きを紹介し、ご意見をいただいてくることは極めて有意義なことだと考えています。ひょっとすれば、日本には無い視点でもって、アジアや日本の性的多様性を見直すことに繋がる可能性もあります。

要旨の最後に述べた、アジアの視点の欠如云々というのは、そのことなのです。しかし、簡単にこの欠如を埋めようとする、または単純に、現代と過去のアジアを結びつけようとすると、これまた大きな問題を引き起こしかねません。

アジア視点の欠如を補うためには、アジアや日本の歴史・文化に対する精査が必要です。これは10年~20年ぐらいかかる仕事だと思います。それまで軽々にものが言えないということではないけれど、一つの結論を出すまでには、そうしたきちんとした調査がどうしても必要です。

今回の発表も、そして男色大鑑祭りやワカシュケンも、その果てない五十三次への始めの一歩、一里です。

久々のタイ、そしてバンコク、ずいぶん変化したでしょうね。帰って来てから、また報告します。













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