注釈ー図書の大海を泳ぐ

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(小泉久雄『日本刀の近代的研究』1933年、より)

前の回に、現代語訳の大切さを書きましたが、むろん、それは翻刻や注釈がつまらないということではありません。それは極めて面白い作業です。とくに注釈は。

よく、日本の古典研究は注釈に始まって注釈に終わる、ということが言われます。私はそうは思いませんが、この注釈が面白い作業であることは間違いないことで、この注釈に始まって云々も、恐らくはそのことを指しているのではないかとも思います。

今回、『男色大鑑』の現代語訳をしながら、幾つか注をつけたわけですが、その注釈の楽しさを改めて味わいました。

たとえば、巻一の四「玉章は鱸に通はす」に登場する増田甚之介。漫画家の大竹直子さんと私は甚之介のことを、ジンジンと呼んでいますので、以下、これで通します(笑)。

このジンジン、煮え切らない兄分の権九郎に、中2病のようなラブレターだか縁切り状だか分からないような手紙を送りつけて、一人果し合いの場に臨みます。その時の姿が、この世の着納めと言いましょうか、実に美しいのですけれども、腰に「肥前の忠吉二尺三寸、同作一尺八寸の指添へ(脇差)云々」とあります。

この「肥前の忠吉(ただよし)」を今まであまり調べたことがなかったものですから、今回、すこし調べてみたら、なかなかに面白い。

まず、忠吉は名刀工として名を馳せたわけですが、これが他の名刀工といささか違うのです。じつは、肥前というのは、この忠吉以前に名刀工が居りません。というか、肥前はあまり立派な刀を作ってこなかったらしいのです。

ところが、天下の泰平の御代になった元和元年(1615)~寛永9年(1632、忠吉が没した年)に、忠吉が現れて、断然に優れた刀を作り評判を取ったということなんですね。そして、その評判はもっぱら「刀文」の美しさにあったということらしいのです。

「刀文」というのは、日本刀の見どころの一つで、刀身に出来る波模様のことですね。あの「波」を見ると、なるほど日本刀の美しさとはこれかと誰もが思うところです。

忠吉はこれが実に美しかったということになります。

上に掲出した刀(一尺六寸と言えば脇差でしょう)は、その刀文はうまく出ていませんが、これはこれで、また見事な出来栄えです。左下に「肥前國忠吉」の銘があります。

忠吉が戦乱の収まった時代に登場したことと、その刀の評価が刀文等の美しさにあったこと、そこに新しい時代の新しい刀への欲求があっただろうと思いますが、詳しいことはまだ分かりません。

しかし、着飾って決闘の場に出向いたジンジンが、刀文の美しい刀を手にしていたこと、ここに西鶴の心にくいばかりの筆遣いがあったことだけはよーく分かります。

こうしたことは、調べてみなくては分かりません。注釈の面白さはまさにこの点にあるのです。

ちなみに、こうした面白い調査は、良い図書館に行かないとできません。

実は私は茨城県のつくば市に住んでいて、筑波大の図書館に良く出向きます。筑波大はもと東京教育大だった関係で、その図書館には多くの本が所蔵されています。特に良いのは、人文・社会・自然に至るまで実にバランスよく、揃っていることです。

よく、国文学の注釈なのだから、国文系の資料が多くあった方が良いと考えがちです。しかし、それはその方面も多くあるに越したことはありませんが、実は、大切なのは文学や人文学以外の資料がどのくらいあるかなんです。

文学作品というのは、当然のことですが、様々な知識が詰め込まれていますので、それを追いかけてゆくには社会科学や自然科学の資料も必要になるのです。

ジンジンの持った刀を調べるには、刀の歴史だけでなく、刀工の生活や刀の素材(鉱物関連)、そして美術的な観点も必要になってきます。

筑波大の図書館はこれにぴったりで、実に重宝しているのです。(実は、私がつくば市に住んだ理由の一つがここにありました)

それから、閉架式はだめです。開架式でないと注釈作業はできません。

閉架式はいちいちリクエストするのが億劫ということもありますが、書庫に入って本を眺め渡せないところが決定的にあかんのです。開架式は、それが出来る、つまり様々な本との出会いが一挙に起こるのです。それはまるで大海を泳ぐような経験ですね。

この楽しさは一度やったら止められません。朝、書庫に入って気付いたら、もうお昼過ぎなんてことは良くあります。

ただ、研究がそれだけ進むのかと言われると、それはうーんちょっと分かりかねます。なにせ、面白いので、自分が何のために図書館に来たのか、忘れてしまうのですね。

一昨日も、名刀工「肥前國忠吉」を昼前に調べに行って、気付いたら夕方でして、結局、一日中、日本刀について調べていたというか、それで遊んでいたということになります。

ちなみに、がぜん日本刀に興味を持ちだしてしまったわけですが、こうなるんだったら、古武道に詳しいトーマス(若衆研究会のお仲間)さんに一度じっくり話を聞いておくべきでした。これからでもお聞きしてみようかしらん。それから、模造刀で良いから(って当たり前ですが・・・苦笑)一振欲しくなりました。朱鞘がイイ、ですネ。







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