『全訳 男色大鑑』校了。そして創作の視点・・・。

甚之介(大竹)5.png
(大竹直子画、ジンジンこと増田甚之介。今回の全訳では裏表紙に使われた。実にうつくしい・・・。とくに珊瑚色の足袋が素敵だ。元禄時代はまだコハゼでなく紐でとめていた。そこがきちんと描かれているのもにくい・・・)

『全訳 男色大鑑』校了しました(つまり印刷に入りました)。仕上がりは10日過ぎとのこと。店頭に並ぶのは14日~20日ぐらい、郵送でお手元に届くのは17日~21日ぐらいでしょうか。(地域差もあります)

22日(土)の男色大鑑祭り(東洋文庫)、25日(火)のトークセッション(池袋・ジュンク堂)には間に合いそうですが、ぎりぎりになってしまいましたね。もうしわけありません。

それにしても、最後の校正は突貫工事で、私も出版社近くのホテルに泊りこんでの作業となりました。出版元である文学通信の社長、岡田圭介さんは完全に徹夜でしたでしょう。西鶴はご存知のように、俳諧の大矢数で一昼夜二万三千五百句の記録を打ち立てたわけですが、岡田さんは一昼夜二万三千五百朱、あるいは校ということになりましょうや。いやはや、お疲れさまでした。

そうした皆さまのご協力のもと、工夫を重ねた現代語訳もさることながら、今回、五人の漫画家さんたちには美麗な作品を寄せていただきました。委曲を尽くす、細を穿つとはまさにこのことで、工夫にあふれた見事な作品ばかりです。(カレンダーやクリアファイルにしたいねぇ・・・という話も出ました)

心より御礼申し上げます。

今回、この本作りを通して様々なことを学んだのですが、その一番は「創作」の視点でした。現代語訳というのは、古語→現代語への移し替えでなく、それは創作なのだということです。ま、こうしたことは彼も言い我も言うことで、特段に新しいことではないのですが、これを本質的に理解している人が文学研究者にどれほど居るか、多くの数字を挙げるのは、なかなかに難しいかも知れません。

というのは、これも当たり前のことですが、創作には修練が必要だということです。日頃、想像力を駆使して物語世界を作り続けていないと、それは出来ないということです。文学研究者でそれを日頃から続けている人は少ないと思います。私の知っているところでは、早稲田の中嶋隆さん(昨今では『時代小説、ザベスト2018』に「子捨て乳母」を書かれています)ぐらいでしょうか。防衛大の井上泰至さんも俳句を作り続けて居られますから、それに近い存在でしょう。また、青山学院の篠原進さんも、多くの現代小説を読みこなして、そのエッセンスを論文に生かされています。これも創作の視点を持ったものと言って良いでしょう。

こうした動きが活発になると良いと思います。と同時に、研究者と小説家・漫画家さんたちの交流ですね。たとえば、近世文学会では小説家や漫画家の方々を見たことはほとんどありません(他の学会も同様でしょう)。恐らく、時代小説や時代劇のシナリオ、江戸を舞台にした漫画等をお書きになっている方にとって、江戸時代の文学研究(+歴史・風俗研究)がどうなっているのかは、最も知りたいところではないかと思います。もったいないですね。研究者側もそうした創作との接点を研究する方たちが出て来ると面白いと思うのですが。。。

過日、東京の某本屋に行き、岩波文庫で古典を探したところ、あの黄色い背表紙がまったくないのに驚きました。あるのは近代以後の作品や歴史系のものばかり、その歴史の片隅に、かの『源氏物語』の数冊が置かれているだけでした。岩波文庫の棚から古典文学がなくなったという話は仄聞してはいましたが、実際に目にすると、やはりショックですね。

ところが、その本棚の近くの、小説や漫画コーナーには作品が溢れていて、しかも新刊もどんどん平積みされていて活況を呈しています。またよくご存知のように、そうした作品は、芸能人やタレントの方々も巻き込んで、テレビでも多く取り上げられています。江戸時代で言えば、時代小説も盛んです。とうらぶ(刀剣乱舞)の影響もありましょう。

恐らく、日本文学、とくに古典研究は、このまま行くと、歴史研究の一部ということになりましょう。それで良いという方もいらっしゃると思いますが、文学と歴史は全く別物ですから、それは文学の終わりを意味します。

私はそうした方向に行きたくありませんので、創作との接点の道をさぐるべく畑中千晶さんや大竹直子さんと若衆文化研究会を作りました。この動き、これからどう展開するか分かりませんが、江戸時代の文学や西鶴の魅力を出来るだけ多くの方と共有して行きたいと考えています。

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