「腐」のちから ー 腐海と腐女子

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(東南アジアの三大河川、イラワジ川にて。髪を洗う女性たち。2015年ミャンマーにて染谷撮影)

「腐」、好い言葉だと思います。

いつ頃からでしょうか、この言葉を意識するようになったのは。
おそらく、宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』を見た時からだったと記憶しています。

「火の7日間」と呼ばれた終末戦争により、人類の主たる文明が滅びてから1000年余り、残ったわずかな文明の、最周辺に生きる風の谷の住民が仰ぎ見る族長ジル、その娘がナウシカです。周囲に、生きる力と安らぎを与える、不思議な力を持つナウシカ。彼女は、終末戦争で汚染された大地に広がる巨大な菌類の森である「腐海」から、密かに菌類を持ちだし、地下にある自らの研究室で菌類の実体を調べていました。

その実験の結果、彼女は重大なことに気付きます。それは、きれいな地下水では菌類は「瘴気」(しょうき、猛毒の空気)を発散しないこと、つまり、汚れているのは菌類ではなく、地上の土そのものであり、菌類はそれを集め浄化の一役を荷っているということでした。

言うまでもないことですが、腐るという現象に善悪はありません。人間にとって有害なものが「腐敗」、そうでないもの、むしろ有益なものが「発酵」です。腐敗・発酵はあくまでも人間の都合でしかありません。その人間にとって都合の悪いものを引き受けているのが腐海なのですが、愚かな人間たちは、その腐海を焼き払おうとして、腐海の住人王蟲(オーム)によって逆に滅ぼされます。この輪廻を断ち切ろうとして立ちあがったのが腐海の原理を知ったナウシカだったわけです。

「腐女子」という言葉を初めて聞いた時、似たようなものを私は感じました。

「腐」と言っても彼女たちは、別に社会に有害なことをしているわけではありません。自分の好きなことを好きなように書いたり描いたりしているだけです。その自由さが、現代の生きづらさを乗り越える糧になることもある。でも、それをいかがわしいものと見る、有害と見る人たちが居ます。時には攻撃も加える。それは腐海を焼き払おうとする行為と似ています。つまり、腐っているのは「女子」ではなくて、「社会」の方なんですね、主に「男たち」の方だと言ってもいい。

その「男たち」は昔から「女子」に清純さを、そして「男たち」への従属を押し付けて来ました。でも、もうそんな時代じゃありません。それは通用しないことは分かっているはずなのに、一部の「男たち」はそれを執拗に繰り返そうとする。さすがに自分たちが先頭に立ってそれをやるのはまずいから、女性にそれを肩代わりさせて共食いを狙う。一部の女性政治家の暴言はまさにその狡知・奸知です。または、さも女性の理解者であることを演じることで、肝心な点を女性に頑として譲らない形を作る、これも奸知です。女性の活躍を謳いつつ女性閣僚が一人しかいない、現内閣なんかその典型ですね。そして、こちらの方がより問題なのでしょう、多くの「男たち」はそれを傍観している。

朝日新聞2018年12月27日付朝刊(11面)にマレーシアのマハティール首相のお嬢さん、マリーナさんの記事が載っていました。マリーナさんはかつて「日本に学べ」(ルックイースト)と父親が主張した時に、日本における女性の立場の弱さを見抜いていたそうです。何故ならば、日本に来て仕事をする中、マレーシアと比べても遥かに劣るその惨状に身をおいていたからです。「特にアジア人で女の私は『最下層』だった」とも。マリーナさんを取材した守真弓さんは、その意識は昨今の医学部入試の女性差別問題を見ても変わっていないと指摘しています。

BLや腐女子に関して、LGBTQなどの性的少数者の問題から議論されることがありますが、より根源的には、社会の女性差別がほとんど解決されていないことに対する異議申し立てがあります。繰り返しますが、腐っているのは彼女たちではありません、我々の方なんです。


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