泊瀬光延「「嬲りころする袖の雪」ノベライズ 西鶴先生への手紙 創作ノートその1」

泊瀬光延画『一刀両段』挿絵
このブログは前回より、染谷個人のものでなく、若衆文化研究会全体のものになりましたので、出来るだけメンバーの方に書いていただくか、また以前お書きになったものを再掲したいと考えております。
その第一弾として、トーマスさんこと泊瀬光延さんのエッセイを以下に再掲したいと思います。
(この文章は本年7月21日にトーマスさんのブログに載ったものです)
泊瀬光延@ブログ
https://air.ap.teacup.com/applet/hatsuse/201907/archive
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「嬲りころする袖の雪」ノベライズ 西鶴先生への手紙
創作ノート その1 泊瀬光延
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「嬲りころする袖の雪」ノベライズ 西鶴先生への手紙
創作ノート その1 泊瀬光延
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井原西鶴先生の「男色大鑑」より「嬲りころする袖の雪」をもとにして小説を書かせて貰いました。
西鶴先生の武士物は、現代人にとっては難解なものが多い。どういう点かと言いますと、
一 「ヌケ」がある。これは日本文学界の西鶴研究の重鎮が最初におっしゃったと聞きますが、確かに、そう思います。どういうところかと言いますと、
一 人物が唐突に出てきて重要な役目をしたかと思うと、いなくなる。
一 全く関係ない話が出てくる・・・がそれが良いアジを出している。
一 展開の詳細がまったくないのに感動的な場面が出来上がる。
一 書く前に周到なコンテキスト作りをしている。その情報をいちいち書いてない。
などなど。こういう感じの話が「男色大鑑」、「武家義理物語」、「武道伝来記」などにわんさか出てきます。ところが、当時は小説という現代のような概念がなかったとはいえ、現在読んでもとても面白いのです。
私も末席を汚(けが)す「若衆文化研究会」にては、学窓と在野のBL漫画家・小説家が「男色大鑑」の深読みをし、議論して、語られていない部分や新解釈、能、謡曲、和歌、そして漢詩などが背景にあるなど、多くの発見がありました。
ここで紹介する拙著「嬲りころする」は、そんな研究会の頭脳をお借りして再構成し、編んだ物語です。この「男色大鑑」の一話は「傘持つても塗るる身」と並ぶ奇談です。なぜなら、なぜそういう結末になるの?という現代人の常識では理解できない登場人物の行為が描かれているからです。
小説化するにあたり、現代小説のナスティハビット(悪い習慣?)である、「読者を納得させる脚本」を作り上げなくてはなりません。
しかも私は「原作に忠実に」創作したいと思いました。
あまりに安易に筋を変えてしまうなんて、西鶴先生に「はん!そんな程度やろ!おまはんは!」と言われそうです。師匠(私は押しかけ弟子ですが)にそう言われたくない!反対にぎゃふんと言わしてやろ、という無謀な野心がわきました。
そこで原作のところどころにある「謎」を解釈していきました。全てを小説に反映することは出来ませんでしたが・・・
1つ目 物語の背後にあるコンテクスト、「松虫」と酒と「雪月花」
まず、笹之介がクライマックスで口ずさむ「あらありがたのお弔い」という唄。ここから始まります。西鶴研究者の畑中先生が、これは能の「松虫」の謡である!と喝破したのです。というのは「あらありがたの」という唄は、「松虫」以外の能でも使用されて、ある常套句と思われていたのですが、「松虫」が背景にあるということは、「松虫」の主題である男色(あるいは男同士の友愛)が「嬲りころする」のモチーフであり、しかも二人共この世から去り、幽霊となっている!というなら、「嬲りころする」の結末(笹之介と葉右衛門の死)は、鳥肌が立つほどの二重構造だ!ということになるのです。
いえい!(染谷先生のマネ)
これで狂喜したわけですが、まだ続きがあったのです。この物語に西鶴がところどころに置いた暗号です。
清少納言、白楽天(白居易)、雪、狂い咲きの桜、酒、が奇妙な関連を示すことを、日本近代文学を研究されている坂東先生が指摘したのです。
坂東先生が指摘したのは、白居易の「殷協律(いんけいりつ)に寄す」という七言律詩との関連。
原作では、「香爐峰の雪は簾をかかげてみる」で有名な漢詩が清少納言の「枕草子」で引用された故実を、笹之介がまた殿のご気分に合わせて示したことが冒頭にあり、笹之介という若衆がいかに文学(もののあわれ)に優れていたかを描写しています。これはこれでふーんと思っていたのですが、関連が確認された「松虫」には「殷協律に寄す」の漢詩の引用があることに坂東先生は気づいたのです。
「殷協律」の詩は『琴詩酒』という琴・詩歌・酒を一緒に楽しんだ友の死を嘆く歌であり、自然の美・『雪月花』の感傷とともに男色の匂いがするのです。
原作には直接引用はありませんが、白楽天が亡き男友達を偲んだ詩が、「松虫」を通して「嬲りころする」に投影されている?!そして『酒』が3つの作品で重要な役目をしているのです。さらに『雪月花』という日本では特に愛されてきた自然のイメージが「嬲りころする」全編に隠されているのではと!
原作では、狂い咲きの桜は離れたお寺にありましたが、最後の笹之介の屋敷の庭の修羅場には花はないのでは?という問いに、坂東先生はGACKTの「雪月花」という「戦国無双3」のエンディング歌を引っ張ってきました。その歌詞には『血の花』とありました。
まさに笹之介の悲しみから噴き出た自害の血潮の花が、葉右衛門の体に積もる雪を染め、冷たい光を放つ月がそれを見ていた、というまた身震いを禁じ得ない三重構造のイメージに我々は気を失ったのです。
2つ目 笹之介の怒り
このお話の謎のもう一つは、笹之介の怒りです。なぜ、あそこまで狂ったように執拗に葉右衛門を死ぬまで嬲り虐めたのか?笹之介はS? 葉右衛門はM?
笹之介が葉右衛門を冬空の中庭に閉じ込めて言った言葉。
「いまだ御付指(おつけざし)の温もりも醒めざらまし」
お付け差しとは遊女が煙草の煙管に火を点け、懇ろの客にその吸った口を差し出すことであると染谷先生。つまり「私はあなたのものよ」ということを公然と伝え、それを受けてまた吸口に口をつけることによってその関係を男は衆目に誇示するわけです。男同士でもやるのかな、と思っていた所、ありましたよ!歌舞伎「三人吉三」で三人の吉三を名乗る男たちが義兄弟の誓いを立てる時、盃を廻して呑む場面があります。
恋しあった者が自然に寄り添い合う、ということもあるでしょうが、中世日本ではこのような「契」の「儀式」が一般的だったようです。そのために便利な証書「熊野誓紙」という証文が全国の熊野神社によって売られていたとも聞きます。古武道である柳生新陰流の門に入る徳川家康の誓紙も残っています。
そして葉右衛門がそのお付け差しを交わしたと疑われた人というのは、笹之介の家に行く前に寄った花見で、葉右衛門に酒を勧めた『市三郎』という人です。原作ではお付け差しをやったとは書いてないのですが。この市三郎、この作品の中でまったく何の説明もなく現れます。最初に述べた『ヌケ』の最たるものです。市三郎は花見の宴に葉右衛門が来たのを知って、
幸ひに留めて、五十嵐市三郎と申す人、杯にあましてさせば、世間言葉に「かたじけない」とこぼるるばかりうけて
という名前も一回きり出てくるだけです。そして笹之介が「お付け差しをした」と言って怒ったことから、市三郎も若衆であり、笹之介のライバルであったと思われます。
でも・・・酒を「あまして」(並々と注いで)「こぼるるばかり」うけて、という語りはお師匠、恐れ入谷の鬼子母神だわ。え、俺はぜえろくだから入谷なんか知らねえって?
小説化に当たって迷いました。現代人向けの小説で、まして短編で、市三郎のことを書かないと、読書に耐えないと思いました。西鶴先生のストーリーではそこは読者の想像に任せていることが明白で、西鶴先生は核心のみを書いてにんまりしているのでしょう。これが「男色大鑑」の物語群の石積みの一つだから許されるのですね。でも私はこの一話のみを小説化しようとしているので、そこを不明確にすると、作品自体の面白みがなくなってしまいます。クソっ!お師匠!
よって私は笹之介よりも市三郎を多く描くことにより西鶴先生のスキを突こうと思ったのです。
市三郎も私の小説では若く美しい若衆で、笹之介が太陽の様な若衆ならば、市三郎は月の様なたおやかな若衆であると設定したのです。
市三郎の登場の描写のために西鶴先生の笹之介の冒頭の下りはばっさり削ってしまいました。どや!師匠!・・・そんな顔せんで!
3つ目 葉右衛門の想いと急性アルコール中毒
笹之介の怒りの正体は、市三郎に対する嫉妬と、葉右衛門が浮気した!ということの怒りです。多分、お互いに『契の儀式』をやって誓いあったのに裏切られた!ということが大きかったのでしょう。
そして染谷先生はやはり『市三郎の温もり』を笹之介は徹底的に削ぎ落としたかったと仰れました。そうか・・・それで刀を奪い、着物を剥ぎ取ったのです。しかし鍛えられた肉体の葉右衛門(人に聞こえた武士とありますので、私はそう考えました)はそのぐらいで寒さで死ぬというのも少し弱いと思いました。雪といっても肩先にうっすら掛かるぐらいの降り方です。
原作では、花見の場で、葉右衛門は市三郎の差し出す酒を「かたじけない」のみしか言わず、その場を離れず金縛りにあったように飲み続けています。そして「刀、脇差は忘れずに立ち返るに」という文で、刀を忘れそうになるほど呑んだのだと私は考えました。そして刀を美しい振り袖でくるんで、立ち上がった葉右衛門に下から差し出す市三郎を描きました。まるで艶なる兄弟であるかの様に周囲からは見られた・・・つまりここが原作では隠された私が思い描いた「付け差し」の場面になります。
ストーリーの「納得性」を高めるために、笹之介が、市三郎と葉右衛門の『ああいう』場面、『こういう』場面を想像して怒りを高める、という描き方をしています。そして市三郎と契った葉右衛門を一回殺そう(生まれ変わらせよう)と、亡者が付ける三角の紙を葉右衛門に投げます。
葉右衛門は笹之介の逆上しやすい性格を把握していたと考えます。我々のそばにも一度怒り出すと、あとからあとから関係のない過去の過ちを思い出してさらに怒り狂う性質の人がいます。プライドが高い人にこういう人は多いのではないでしょうか?
笹之介は、こうなると目が釣り上がり、ますます美しくなるのです。私が描く美少年にはこういう性格が多いです(汗)・・・葉右衛門はそれを知っていますので、笹之介を早く『鎮めて』肌を合わせたい、普通の優しい彼に戻って欲しいと念じ、やはり金縛りのようにその場を去れなくなっています。
かつ酔いと寒さ、嬲られる恐ろしさが重なり、急性アルコール中毒症状が出てきます。え、急に興ざめ?でもこう考えなくては葉右衛門を「殺す」ことが出来ないと思いました。
瞬(めまぜ)せはしく躑躅(たちずく)み
と末期の葉右衛門の描写です。白目を向いて瞬(まばたき)き繁(しげ)く、震えながら背を反って体を硬直させて震えている、と心臓麻痺の断末魔の症状に思えます。
ここで私は原作ではここに『小坊主』がいたことを利用して、笹之介の顔を見て震え上がる小坊主を描きました。つまり読者は小坊主を通して笹之介の夜叉のような顔を想像できるでしょう。彼が恐れて二階から逃げ出し、笹之介を止めるように親に注進に行く。
原作の全ての伏線を使い切る・・・ふふ、お師匠どうや!あ、知らん顔して憎たらし!
笹之介は葉右衛門を裸にして三角紙を付けさせて少し落ち着いたのでしょう。しばらく間を置いて許してやろうとでも思ったのでしょうか、おもむろに小鼓を取り出し、能の「松虫」の謡いを始めます。西鶴先生の思惑通り、彼は衆道の契をテーマにしたこの能の一節を謡います。
あらありがたの御弔(おとぶら)いや
「松虫」あるいは他の謡曲では、
あらありがたの御弔いやな
で、原作では少し違うのですが、私は最後の「な」を謡い終わる前に笹之介に二階の窓から顔を出して、葉右衛門の様子を見させます。ここは原作では時間的な情報はないので補足的描写です。西鶴先生、他力本願もいい加減にせや!
そして葉右衛門の様子を見て、はじめて笹之介は我にかえる、ということになります。二階から降りて駆けつけたときにはすでに遅し。葉右衛門はこと切れ、笹之介は共に死出の旅に出ます。原作では印籠を開けて薬を出そうとするのですが、現実ではここはすぐ脈を見るだろうと思います。私は帯に付けていた印籠の紐を引きちぎって外に出た、という描写にしました。でも西鶴先生の原文、
印籠あくるまも、脈にたのみもなければ
という靄(もや)のように広がった文には勝てんかった・・・私にはここの現代文章化は無理やわ・・・
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原作は二人の死で終わります。西鶴先生は「死ぬ」というより「夢となりぬ」と書きます。はっきり死んだと書くのは野暮や!と言うのでしょう。ですが、小説としては、ここでぶつと切っては勿体無いと思いました。
そうです。告げ口野郎がどうなったのか、市三郎はどうしたのか、知りたくなるでしょう?そこで終章は「付(つけたり)」としたのです。この言葉は古文でよく見かけます。補足ですね。
創作の楽しみは鑑賞者に「時間の無駄ではなかった!」、「頭に残る」などと言わせることに尽きます。拙著「悲剣 一刀両段」ではオリジナルなので自分で伏線、書きぶりを試行錯誤し苦労しました(でも楽しかった)。今回は原作がありました。でも二次創作などという感覚は私は持ってません。原作があればその意味を思考しつくし吟味してまたそれを越えるような作品を作る。これは新たな創造ということです。
私の西鶴師匠への報告を小説日記として書き残します。
斗升堂 泊瀬東亀 光延 印
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「その2」以降は、最初に掲出した泊瀬さんのブログをご覧くださいませ。
以上
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