さすがです壇蜜さん!パート2

(気が付いたら過ぎちゃったけど、四月四日は若衆の日でしたっ!、男雛二つを並べるんです、笑。女雛と女雛でもいいけどね。でもそれ何て呼ぶ?知らんけどね。)
壇蜜さんの話のなかで、もう一つ大切なことがありました(こっちの方が重要かな)。
アナウンサーのご質問、「女子高生時代、なぜ男性同士の恋愛にそんなにハマったのですか」に対して、自分とは、自分の性とは全く違った世界だからとお答えになった、そこ、です。
実は、これ、西鶴も同じだったんです。西鶴は町人・商人です。そこはリアルな金と計算の世界。どんな手段を使おうと「生きる」「生きのびる」ことが大切な世界です。まさに心を石にして賢く立ち回らなければならない。その厳しくも冷徹な世界は、西鶴が自身の作品『日本永代蔵』等の町人物で縷々書いているところです。
ところが、『男色大鑑』の世界、とくに前半の武家社会は、それとは全く違った相反する倫理が生きている世界でした。生きるより死ぬことが大切とされ、賢いよりも一途で頑なさが活きている社会です。それは主君への忠誠に表れるのですが、若衆と念者の衆道に最も輝くと言いますか、花開く世界なのです。西鶴にとって、そこはまるで自分の、商人町人とは違った異国です。だから、あれだけ濃厚な純愛の世界が、まぁ恥ずかしげもなく、どどーんと展開できたのです。壇蜜さんの友人たちが憧れた自分とかけ離れた世界と、それは見事に響き合うのです。だからこそ、いま、この作品を読む我々に、その世界はすっと入ってくるんですね。
それに比べて、『男色大鑑』の後半の世界はまったく違います。今度は、西鶴の身近なというか、すぐ周辺に転がっていた世界です(ただ、歌舞伎・役者の世界は、商売や金銭の世界とはまったく違います。そこも重要です。)
だから、西鶴は前半の武士世界とは違って、自分がどんどん出てきてしまう。挿絵にまで飛び出して、当時の人気役者より男前に描かれて登場して、どうだ!俺はすごいだろう!とやっちゃったわけなんですね。やり過ぎです、これは。だから、鶴翁(かくおう)でなく、鶴爺(つるじい)と呼びましょうと、私は本(『全訳 男色大鑑』歌舞伎若衆編)で訴えたのです。
でも、この振れ幅がまたすごいですね。同じ作品の中で、この両方をやってしまう西鶴って、やはり底が知れないのです。
(染谷記)
この記事へのコメント
久良岐研究所で、草野さんのお名前も拝見でき、久良岐に5年位前に行ったので、嬉しく思いました
コロナで大学も大変と思いますが、お身体にお気をつけてお過ごしください