きたーー!畑中千晶の世界 ー 若衆研☆特別コラムについて

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(下のURLをクリックしますと、ハートが主馬と義左の間から飛び出す!という動画になります。5月24日まで限定)
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畑中千晶さんとは、知り合ってからずいぶん経ちます。同じ西鶴研究者というよりは、西鶴研究の中で『男色大鑑』が日陰の身であることを嘆き、その復権のために戦ってきた同志と言ってもいいでしょう(ちょっと大げさですけどね)。

そんな関係で、畑中さんのご執筆・ご発表などはわりと近くで見てきた方だと思います。

そんな私から見て、今回のコラムは、今までのお仕事の中でトップ3に入るものだと思います。いや、トップ1かな。

もちろん、ほかにも優れたご論文やご著書はたくさんあるんですよ。でもね、熱量が全く違うと言いましょうか。『男色大鑑』とヨネダさんの作品への迫り方が尋常ではありません。普通、対象にのめり込むのは、物書きとしてあまり良いことではないのですが、畑中さんはのめり込む寸前で止まっていて、そこで軽やかに踊っているんですね。エア(セルフ)インタビューはまさにその結実ですね。

今の時代で言えば、冷静と情熱のあいだ、元禄的に言えば、大矢数(西鶴の熱量)と「おくのほそ道」(芭蕉の冷徹さ)のあいだ、と言ってもいいでしょう。

いずれにしても、元禄期の『男色大鑑』、現代の『囀る』、両時代に輝く二作品を、畑中さんは見事邂逅(かいごう)させた意義は大きいと思います。

今回のエッセイで畑中さんも述べていたように、影響関係云々ではないのですね。時代を飛び越えて出会うこと、それがすべてです。そしてそれは、創作だからこそ、作り出すという姿勢の中で初めて見えてくるものです。畑中さんが密かに?創作をされていることは、ここに生きているんですね。

いわゆる古典と呼ばれているものは、もう古典という枠をはずした方がいい。過日の知恵泉で上田監督が、『男色大鑑』の場面を見て、現代的ですね、とおっしゃっていましたが、まさにそうなんです。

古典という言い方には、古くて美しい骨董の味がありますが、西鶴流に言えば、それは隠居おやじのもてあそび、血気盛んな人間が大事にすべきものではありません。

畑中さんには、この方向で書き進めていただいて、一書になるよう期待しましょう。「畑中千晶の世界」はその時、軽やかな綺羅をまとったソーシャルダンスで我々をさらに魅了するはずですから。

(染谷記)

*西鶴の挿絵は「西鶴浮世草子全挿絵画像CD」(『西鶴と浮世草子研究』第一号付録、笠間書院、2006年)を使用しております。

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